大窪詩仏

大窪詩仏は通称柳太郎、実名は行光。詩仏は号です。明和4年(1767)常陸国久慈郡池田村(茨城県久慈郡大子町)の桜岡家に生まれました。父宗春は常陸国多賀郡大久保村(茨城県日立市)の大窪家に生まれ、医を業とし、桜岡家の婿養子となります。その長男として詩仏は生まれたのです。

宗春は娘もつを桜岡家に残し、詩仏をつれて桜岡家を離れます。宗春は詩仏を大久保村において、江戸に出ます。詩仏は大久保村で多感な少年期を大久保村ですごしました。やがて詩仏は父のいる江戸に出て医術と詩を学びます。父が亡くなってからは詩作に専念し、寛政5年(1793)に第一詩集『卜居集』を上梓します。詩仏の詩と書および詩に添えられる竹の画は江戸時代の人々に愛され、天保8年(1837)江戸に歿します。享年71でした。

大窪詩仏についてのことがらをいくつか提供します。