大窪詩仏の詩と書をあじわう 五
乗酔時々貌墨君 老来矍鑠馬将軍
酔いに乗じ時々墨君を貌る。老來、矍鑠たる馬将軍
酔狂に駆られて時々墨で竹を描く。老来、馬将軍のように矍鑠としている。
[註]馬将軍は後漢の馬援か。後漢書に「馬援鞍に拠る」、蒙求に「馬援薏苡」の項がある。
『詩聖堂詩集 三編』巻10 「丙申元旦作」
6首の第6にある七言絶句の起句と第4句の結句 |
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高臥看青山塵土不驚幽夢 忘情消白日乾坤自有閑人
高臥、青山を看る。塵土、幽夢驚かず。忘情、白日を消す。乾坤自ずから閑人あり。
世俗を避け隠居して青山を見る。世俗に幽夢を煩わされることはない。俗情を忘れて日を過ごし、天地間の閑人となっている。
[註]高臥は心を高尚にして世俗を避け、山野に隠居すること。幽夢ははっきりしない夢。忘情は喜怒哀楽の情を忘れること。乾坤は天と地、天地の間、人の住むところ。
11字行書。出典未詳
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徜徉於山林泉石之間塵心漸息 夷猶於詩書図史之内俗気潜消
山林泉石の間に徜徉して塵心漸く息み、詩書図史の内に夷猶して俗気潜かに消す。
山林泉石の間にさまよって俗心ようやく消え、詩書の世界にもとおって俗気がいつの間にか消える。
[註]淌佯とは、ぶらぶらと歩き回ること。図史は経書と史書。夷猶はためらう。
13字行書。出典未詳
『菜根譚』後集にある「徜徉於山林泉石之閒、而塵心漸息。夷猶於詩書図畫之内、而俗気潜消。故、君子雖不玩物喪志、亦常借境調心。」によるか。
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我已有亭深竹裏 只思帰去聴風聲
我已に亭あり、深竹の裏。ただ思う、帰り去って風声を聴かんと。
我が詩聖堂には既に東屋が深い竹林の中にある。ただもう帰宅して竹林裏に風の音を聞きたいと思っている。
出典未詳
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無竹使人俗 有竹使俗蘇 所以書窓下 不可一日無
竹無くば人を俗ならしめ、竹有れば俗を蘇らせしむ。ゆえに書窓の下、一日も無かるべからず。
竹がなかったら人の心を俗にし、竹があったら俗から生き返らせてくれる。だから、書斎の窓辺には一日だって竹がなくてはならない。
『詩聖堂詩集初編』巻二「画竹」六首の第三
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短梢塵不染 密葉影低垂 忽起推篷看 瀟湘過雨時
短梢、塵に染まず。密葉影低く垂る。忽ち起って篷を推して看る。瀟湘過雨の時。
竹の短い枝先は塵に汚れない。密葉の影が低く垂れている。たちまち起って舟の篷を上げて見る、瀟湘の水に雨が通り過ぎる時に。
[註]篷は菅、茅などを菰のように編み、家の屋根などのおおいや船のおおいなどに使用する。瀟湘は中国の湖南省にある洞庭湖に合流して注ぐ瀟水と湘水のこと。
出典未詳
元の呉鎮の作「畫竹十二首」の一つ「短梢塵不染 密葉影低垂 忽起推蓬看 瀟湘過雨時」によるか。 |
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空谷有佳人 斯香遠益聞 若逢王者起 封為世愛君
空谷に佳人有り。形香、遠く益々聞ゆ。もし王者の起るに逢わば、封じて世愛君となさん。
静かな谷に佳人がいる。その形、香りのすばらしさはいよいよ遠くまで評判である。もし王者が立つのに際会すれば、世愛君として封じられよう。
[註]『西遊詩草』巻之上「蘭竹二首」参照
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魯國多儒者 朱家以侠聞 凛々有氣節 國士誰如君
魯国、儒者多し。朱家、侠をもって聞ゆ。凛々として気節あり、国士、誰か君に如かん。
魯の国には儒者が多い。なかに朱家という人は侠によって評判だった。凛々として意気高く節操を有していて、国士とされる人でも彼に及ばなかった。
[註]魯国は中国古代の魯の国。孔子を生んだ。国士は国中で最もすぐれた人という意味。
『西遊詩草』巻之上 「朱竹」
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可剪為雙管 必作裂石聲 莫向江邊弄 恐有魚龍驚
剪って双管となすべし。必ず石を裂く声を作さん。江辺に向って弄すること莫れ、恐らくは魚竜の驚くことあらん。
切って二つの笛をつくるがよい。きっと石をひきさく声を立てよう。川辺でその竹の笛を弄んではいけない。魚竜を驚かすだろうから。
『詩聖堂詩集 初編』巻二「画竹」六首の第五
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為蘆又為葦 誰能辨其真 清風拂席起 初覚竹有神
蘆となりまた葦となる。誰か能く弁ぜん。清風席を払って起り、初めて覚ゆ、竹に神あるを。
蘆といったり葦といったりする。誰も区別できない。たちまち清風が起って、初めて精霊ある竹と知る。
『西遊詩草』巻之上「竹」詩
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作品:江戸民間書画美術館 渥美國泰コレクション より
参考文献:『大窪詩仏展 江戸民間書画美術館 渥美コレクション』