江戸文化のなかの文人たち

渥美國泰

江戸の文化も、中期から後期ともなると、ようやく西の雅を中心とした文化から解き放たれて、江戸独特の成熟した雅と俗を生活の中に自然に均衡させたバランスよい文化を生み出したのです。

「雅」の領域は、古典としての位置づけを明確にしながらも、それを自らの生活体験の中に上手に取り込み消化して、「品格」の中に人間的な温かみをみせ、「俗」の領域は、人間味を丸出しにした中にも決して「品格」を忘れぬ境地を創り出すという、雅と俗を融和した文人意識なるものを中心にした文化を作り上げたのです。

文人意識とは、詩文・歌文の「雅」、俳諧・戯作の「俗」を打って一丸としたような文芸領域を展開することで、現世に生きることを充分に楽しみ、仕事も一流、遊びも一流を競い合い、しかも文人という身分で、四民という身分の括りを自由に乗り越えて、交流するところにその特徴があったともいえるのです。

詩仏の平成の世まで二百年という艱難辛苦の時を経て残され、たどり着いた艶のある筆勢ゆたかな書幅や得意の竹の絵の数々がその生まれ故郷、日立市で一大展覧がなされるのは喜ばしい限りである。

また詩佛が交わった同時代に活躍した文人たち、亀田鵬斎、酒井抱一、谷文晁や蜀山人、西の頼山陽や篠崎小竹、江湖詩社の師市河寛斎や菊池五山、柏木如亭、そして後のお玉ケ池の住人梁川星巌、紅蘭の作品も展覧するというのである。秋田の佐竹史料館以来の本邦初演の一大展覧会を是非ともご覧なさってください。

(あつみくにやす 俳優 江戸民間書画美術館主宰)

 『茨城新聞』2008年4月 「江戸の大流行詩人大窪詩仏展」より

写真:蘭石図 大窪詩佛筆 亀田鵬斎賛 紙本墨画 87.9×29.4cm