大窪詩仏の詩と書をあじわう 四

大森 林造

一叢緑参差 堪束以為箒 不啻掃塵埃 足除胸中垢 
一叢、緑参差しんし。束ねてもって箒ほうきとなすに堪えたり。啻ただに塵埃を掃くのみならず、胸中の垢あかを除くに足る。

一叢の竹が不揃いに茂っている。束ねて箒を作ることができる。その箒は、塵埃だけでなく、胸中の垢を払い除くことができる。

『詩聖堂詩集 初編』巻2 「画竹」6首の第6

東岡有高士 其字曰緑卿 相見不忍去 時有清風生
東岡に高士こうしあり。その字を緑卿という。相見て去るに忍びず。時に清風の生ずるあり。

東の岡に志高く高潔な人がいる。字を緑卿という。見知ってからは立ち去ることができない。時に清風を立てている。(緑卿は竹)

『詩聖堂詩集 初編』巻2 「画竹」6首の2

亂影繽紛緑一叢 此君心事飽清風 誰知戛玉敲金響 総在蕭々瑟々中
乱影繽紛ひんぷん、緑一叢。此君しくんの心事、清風に飽く。誰か知る戛玉かつぎよく、敲金こうきんの響き。総すべて蕭しようしようしつしつの中にあり。

竹は盛んに葉を乱して一叢の緑となっている。その思いは清風を貪ることにある。玉を鳴らし黄金をたたくような音も、本来は物寂しい音なのである。

[註]此君は竹の異名

『詩聖堂詩集 初編』巻三 「風竹」詩

 
鰍澤關前買小舟 短櫂輕橈下奔流 峡舟底薄軟如革 亂石相磨無復愁 
鰍沢関前、小舟を買う。短櫂たんとう、軽橈けいじよう、奔流を下る。峡舟、底薄く、軟かきこと革の如し。乱石あい磨してまた愁いなし。

鰍沢関の前から小舟に乗った。短く軽い櫂で奔流を下るのである。船底は薄くて革のように軟らかい。川底の石をこすったりするのだが心配はないのである。

[註]鰍沢は山梨県南巨摩郡。櫂も橈もかい。文政9年に西遊の旅のおり富士川を下ったときの作。

『詩聖堂詩集 二編』巻11 「下峡」12首の第一

相逢應在城南宅 刻燭思曽句屢聯 今我來尋千里外 別君已是四年前 追懐往事渾如夢 話到中宵未就眠 無限羈愁又消盡 満擔涼月聳吟肩
相い逢うて応まさに城南の宅に在り。刻燭、思いはすなわち句、しばしば聯。今我れ来り尋ぬ、千里の外。君に別るるは已すでにこれ四年前。往時を追懐すれば、津、着く如し。話して中宵に到り、未だ眠りに就かず。無限の羈愁きしゆう又消尽し、満擔の涼月に吟肩を聳そびやかす。

再会して城南の君の家にいる。時の移るのを気にしながら、思いは詩句であり聯句である。いま遠く千里の道を訪ねてきて、別れた四年前のことを思うと、やっと港に着いたような気持ちになる。話し込んで夜半になっても眠りたくない。無限の旅愁を払い尽くし、軒端いっぱいの涼しい月に向かって吟じては肩を聳やかすのである。

『西遊詩草』上 「過村田水葒杜陸堂」詩の初形か。

十歳重來侍畫堂 殊恩咫尺接清光 暑經三伏未全退 月傍九霄分外涼 竹影満簾開水墨 桂花何處散天香 一身未慣雲階上 風透山人薜茘裳
十歳(載)、重ねて来りて画堂に侍す。殊恩しゆおん、咫尺しせき清光に接す。暑は三伏さんぷくを経て未だ全くは退かず。月は九霄きゆうしように傍うて分外に涼し。竹影満簾まんれん、水墨を開き、桂花何処、天香を散ず。一身未だ慣れず雲階の上、風は透る山人薜茘へいれいの裳。

十年ぶりに高堂を訪れ、格別の思し召しで近々と貴人のお側近くに侍っている。三伏は過ぎてもまだ暑気は完全には去らないが、月が九天にかかって分外に涼しい。簾いっぱいに竹の影が水墨画のように映り、どこからか木犀のいい香りが漂う。この身は雲のきざはしになれず、風がかずらの衣を吹き抜けてゆくばかり。(試解)

[解説]咫尺は距離の近いこと。三伏は夏至の後の第三・第四の庚かのえの日と、立秋の後の最初の庚の日。最も暑いとき。九霄とはおおぞら。九天。薜茘はテイカカズラ、マサキノカズラ。詩佛は文政十年の西遊の折に大納言日野資愛に招かれた。

『詩聖堂詩集 二編』巻12
「侍亞槐日野公宴恭賦奉呈」詩

似霧似煙還似雨 霏々漠々更紛々 須臾風起吹将去 去作前山一帯雲 
霧に似、煙に似、還た雨に似たり。霏ばくばくさらに紛々ふんぷん。須しゆに風起って、吹き将もち去り、去って前山一帯の雲となる。

霧に似、煙に似、また雨に似て、霏々漠々さらに紛々たる風情である。すると、たちまちに風が起ってそれらを吹き払い、たちまち前山一帯の雲となってしまった。

[註]霏霏は雪雨などがしきりに降るさま。漠漠は、ぼんやりとしてとりとめのないさま。紛々は入りまじってみだれるさま。須臾は、少しの間。

[解説]詩は文化6年(1870)、詩仏44歳の作で「雲」と題し、『詩聖堂詩集二編』巻一に収められている。六月二七日、高輪を出発、途中、金沢に一泊して箱根の芦の湯に到り東光庵に滞在。詩仏が24歳の頃から学問の師としていた北山の子の緑陰に誘われた旅で、同行者には、奚疑塾関係者や百年・淡斎・君鳳・武清など8人。いわゆる文人の清遊。流行詩人としの煩瑣な日々から抜け出た喜びを味わっている。詩仏は既にその年の1月に『詩聖堂詩集初編』を刊行していて、江戸の詩壇に揺るぎない地位を確立していた。
 この折の清遊の記念碑が今も残っている。摩滅がひどいが、表に詩仏を含めて6人(淡斎・百年・榕斎・詩仏・緗桃・緑陰)の七言絶句が、裏面に文晁らの魁星像と北山の文がある。北山と文晁は旅行には参加していない。
 詩仏はこの詩を愛していて、よく揮毫に用いている。

得魚沽酒醉為家 偃臥滄江月影斜
魚を得て酒を沽い、酔いを家となす。滄江に偃臥えんがすれば、月影斜めなり。

魚を手に入れ、酒を買って、酔ったところを家とする。青い川のほとりに腹ばいになると、月が空に斜めにかかっている。

出典未詳

麦浪翻雲疑醸雨
灘雷湧雪欲生風
麦浪雲を翻ひるがえし、雨を醸すかと疑う。
灘雷たんらい、雪を湧き風を生ぜんと欲す。

麦の穂が風になびいて雨をうながすかと思われ、雷のような早瀬の響きが雪片を湧き立たせて風を起こそうとしている。

『詩聖堂詩集 二編』巻11
「発花咲途中作」七言律詩の第三、四句(頷がんれん

 
猶記鳳皇池閣上
坐聴風雨下層宵
なお記す、鳳皇池閣の上。
そぞろに聴く風雨、層宵より下るを。

なお覚えている、鳳皇池閣上に、風雨が天空から下るのを。

出典未詳

作品は「江戸民間書画美術館 渥美國泰コレクション」より

参考文献:『大窪詩仏展 江戸民間書画美術館 渥美コレクション』