楽易な、聴覚型詩人としての面目躍如

渥美國泰

詩佛の詩には漢字の繰り返しを使って啾啾(シュウシュウ)とか、喞喞(ショクショク)とか、現代では意味も不明な擬声音がしきりと使われ、水の流れや雨の音、春の蛙や夏の蝉の声、秋の虫や色々な鳥の声、街の物売りの声までも漢字を工夫して詠じているのは見事です。これらは詩仏の造語ではなく、詩仏の聴覚の感性から生まれた、その音を楽しむ近代的な性格から生まれた産物で、まさに「耳の人」つまり「聴覚型」の性格がうかがえるのです。

それはモーツァルトが旅先で、クラリネットという新しい楽器にめぐりあい、その音色が気に入ってすぐさま自分の作曲に取り入れたように、詩佛もまた得意の擬声音を自作の詩に駆使して奏で、詩作に取り入れて楽しんでいるのです。

これが老境に到っても白髪頭の先生がいまだ潤筆料稼ぎの旅をつづけているわが身を自嘲しての詩なのである。しやんしやん…先生先生とこのようにあざけるように聞こえる蝉の声の主は多分関西地方に多い熊蝉の鳴き声なのです。

このように詩佛の詩には妙な感傷や情緒が無いところがまた一つの魅力とも言える。実にわかりやすく明るく、つまり楽易なのである。

(あつみくにやす 俳優 江戸民間書画美術館主宰)

『茨城新聞』2008年4月 「江戸の大流行詩人大窪詩仏展」より

写真:墨竹石図 大窪詩佛筆 江戸後期 紙本墨書淡彩 29.9×37.6cm

詩佛の賛は竹詩で「為蘆又為葦誰能認其真清風拂席起初覚竹有神」