蘆之湯の大窪詩仏


東光庵 2023-06-05


山本北山門下詩碑

箱根に遊ぶ

国道1号を小田原から箱根にでる峠の手前に蘆之湯がある。蘆之湯には熊野神社が祀られている。熊野神社への石段をのぼり、鳥居をくぐると正面に復元された東光庵がある。左に大きな石碑が目に入る。足下の表示に「山本北山門下詩碑」とある。山本北山は大窪詩仏の詩作の師匠。境内には多くの石碑がある。そのうちの一つである。

題額は北山、書は詩仏というが、詩碑は苔むして、彫りも浅く、題額はじめ多くの文字は判読できない。碑陰にあるはずの谷文晁らの画もわからない。大窪詩仏の詩も数文字、煙還似雨霏が読み取れるだけである。

文化7年(1810)、詩仏四十四歳の時、今川緗桃(北山の妻)、山本緑陰(北山の子)、佐羽淡斎、木百年、絲井榕斎(奥山君鳳)、谷文一(文晁の養嗣子)、喜多竹清(南画家)とともに箱根に遊んだ。緑陰の発案で、6月27日早朝、詩仏、榕斎、百年、文一は江戸高輪を発した。淡斎らは途中で合流したのであろう。詩仏がこの旅でつくった詩は十九首。のちに『今四家絶句』に18首と『詩聖堂詩集二編』に9首が収められた。

蘆之湯で詩仏は「当午遊人盡着綿 涼風恰似雨餘天 山中気候何如許 七月初旬猶聴鵑」(「蘆湯」『詩聖堂詩集二編』)と詠む。浴客のだれもが日中でも綿入れを着ている。七月初旬、暦では秋というのに雨上がりにこの蘆之湯ではほととぎすを聴くほどであると。

帰路は宮ノ下、底倉、塔沢に遊んで下山し、小田原、江ノ島に立ち寄り、江戸に戻る。

雲詩

東光庵の詩碑は清遊まもなくして佐羽淡斎と山本緑陰の企画で建てられた。6人(淡斎・木百年・榕斎・詩仏・緗桃・緑陰)の詩(七言絶句)が刻まれる。大窪詩仏は次の詩。

似霧似煙還似雨  霧に似 煙に似 た雨に似る
霏霏漠漠更紛紛  ばく々、更にふん
須臾風起吹将去  須臾しゅゆ にして風起りて吹きち去り
去作前山一帯雲  去って前山一帯の雲と
霧のように煙のようにまた雨のように
チラチラとモクモクとまたヒラヒラと
たちまち風が起こって吹き払うと
前の山へ飛んで行ってたなびく雲となる

石川忠久「大窪詩仏の詠物詩」

この詩はのち「雲」と題され『今四家絶句』と『詩聖堂詩集二編』に収められる。

東光庵をでると目の前に大きな山がそびえている。上二子山。標高1099メートル。芦ノ湖に向う途中に国道1号の最高地点(標高874メートル)がある。

 


広重「芦のゆ 箱根七湯図会」 国立国会図書館デジタルアーカイブより
 宿並の奥の高台に建屋がふたつある。左は熊野神社で右が東光庵であろうか。現在の配置とは異っているように見える。


参考

碑表

涼風生時雨始収 稟風雲脚去如流 東南一角山才缺 轉出蒼波万頃秋 淡斎佐羽芳
数聲杜宇夢醒聞 起倚闌干夜欲分 最是雙峯奇絶処 一峰吐月一峰雲  愚庵木寿
棧路欹頽挂翠蘿 行人樹杪踏雲過 名山如把奇書讀 妙処偏経險処多  榕斎絲井翼
似霧似煙還似雨 霏々漠々更紛々 須臾風起吹将去 半作前山一帯雲  詩仏大窪行
鶯聲相喚夢初回 爐虚添香乎自焙 小雨纔収雲脚散 雙峰藷翠入簾来  緗桃今川氏
雲影乍昉還乍明 山邨一日幾駁晴 霏微箜翠凉如洗 滴作前檐疎雨聲  緑陰山本謹
文化七年歳在庚午秋七月                       慶雲刻

「「木百年妻深井氏墓」と石工「中慶雲」について(上)」

碑陰

蘆湯者筥根温泉也能諧/ 痼起癈文化庚午秋佐羽/ 卿木百年絲井君鳳大/ 窪天民吾婦苙桃男謹多武清谷文一同遊於斯賞愛煙霞泉石不凡各詩以賦其勝蘭卿與謹謀/ 立石勒之於碑面天民書/ 更使武清文一及其師谷文晃各爾魁星刻碑陰長保護此山文雅云/ 北山山本信有題慶雲刻

「「木百年妻深井氏墓」と石工「中慶雲」について(上)」

碑陰読み下し

蘆ノ湯ハ筥根ノ温泉ナリ。能ク痼ヲ諧ゲ廃ヲ起ス。文化庚午ノ秋、佐羽蘭卿、木百年、絲井君鳳、大窪天民[詩仏]、吾ガ婦緗桃、男謹、喜田武清、谷文一、同ニ斯ニ遊ビ、煙霞泉石ノ凡ナラザルヲ賞愛ス。各詩ヲ作リ、以テ其ノ勝ヲ賦ス。蘭卿、謹ト謀リテ、石ヲ立テ之ヲ碑面ニ刻ス。天民書丹シ、更ニ武清、文一、及ビ其ノ師文晁ヲシテ各魁星像ヲ画カシメ、碑陰ニ刻シ、以テ長ク此ノ山ノ文雅ヲ保護セント云フ。北山山本信有題。慶雲刻。(原漢文)

「ある江戸人の異文化理解(四)」

『詩聖堂詩集二編』(巻之一)に掲載された「雲」詩

参考文献