大窪詩仏の詩と書をあじわう 八

大森 林造


逕深茅屋陋樹倚夕陽斜 行遍青山路何丘不可家
逕深く茅屋陋しく樹に倚れば夕陽斜めなり。行き遍し青山の路、何れかの丘か家すべからざらん
道は遠く茅葺の家は粗末、樹下に寄れば夕日が斜めである。青山の道をたどり尽くして、どこの丘にだって住まいすることができるという思いだ。

*高久靄厓たかくあいがいが石を描き、詩仏が竹を描き、賛をよせる。


有竹之居人不俗 主人与竹並便娟 此中何處君去否 買断清風不用錢
有竹の居人、俗ならず。主人と竹とならびに便娟。此の中、何処に君去るや否や。清風を買断して銭を用いず
竹を植えていて君もまた俗ではない。主人も竹も共に美しくあでやかである。君はどこへ足を運ぶというのだろう。居ながらにして清風を、銭も使わず買い得ているではないか。

*五十嵐竹沙の山水に詩仏が行書で七言絶句の詩を寄せる。出典未詳


我已有亭深竹裏 只思帰去聴風聲
我已すでに亭あずまやあり、深竹の裏うち。ただ思う、帰り去って風声を聴かんと。

我が詩聖堂には既に東屋が深い竹林の中にある。ただもう帰宅して竹林裏に風の音を聞きたいと思っている。

*出典未詳


無竹使人俗 有竹使俗蘇 所以書窓下 不可一日無
竹無くば人を俗ならしめ、竹有れば俗を蘇らせしむ。ゆえに書窓の下、一日も無かるべからず。

竹がなかったら人の心を俗にし、竹があったら俗から生き返らせてくれる。だから、書斎の窓辺には一日だって竹がなくてはならない。

*『詩聖堂詩集初編』巻二「画竹」六首の第三。

短梢塵石染 怒葉影低垂 忽起推篷看 瀟湘過雨時
短梢たんしよう、塵石に染まず。怒葉影低く垂る。忽たちまち起って篷とまを推して看る。瀟湘しようしよう過雨の時。

竹の短い枝先は石の塵などに汚れない。動く葉の影が低く垂れている。たちまち起って舟の篷を上げて見る、瀟湘の水に雨が通り過ぎる時に。

[註]篷は菅、茅などを菰こものように編み、家の屋根などのおおいや船のおおいなどに使用する。瀟湘は中国の湖南省にある洞庭湖に合流して注ぐ瀟水と湘水のこと。

*出典未詳


空谷有佳人 斯香遠益聞 若逢王者起 封為世愛君
空谷に佳人有り。形香、遠く益々聞ゆ。もし王者の起るに逢わば、封じて世愛君となさん。

静かな谷に佳人がいる。その形、香りのすばらしさはいよいよ遠くまで評判である。もし王者が立つのに際会すれば、世愛君として封じられよう。

[註]『西遊詩草』巻之上「蘭竹二首」参照


魯國多儒者 朱家以侠聞 凛々有氣節 國士誰如君
魯国、儒者多し。朱家、侠をもって聞ゆ。凛々として気節あり、国士、誰か君に如かん。。

魯の国には儒者が多い。なかに朱家という人は侠によって評判だった。凛々として意気高く節操を有していて、国士とされる人でも彼に及ばなかった。

[註]魯国は中国古代の魯の国。孔子を生んだ。国士は国中で最もすぐれた人という意味。

*『西遊詩草』巻之上にある「朱竹」と題する五言絶句


可剪為雙管 必作裂石聲 莫向江邊弄 恐有魚龍驚
って双管となすべし。必ず石を裂く声を作さん。江辺に向って弄ろうすること莫なかれ、恐らくは魚竜の驚くことあらん。

切って二つの笛をつくるがよい。きっと石をひきさく声を立てよう。川辺でその竹の笛を弄んではいけない。魚竜を驚かすだろうから。

*『詩聖堂詩集 初編』巻二「画竹」六首の第五


為蘆又為葦 誰能辨其真 清風拂席起 初覚竹有神
蘆となりまた葦となる。誰か能く弁ぜん。清風席を払って起り、初めて覚ゆ、竹に神あるを。

蘆といったり葦といったりする。誰も区別できない。たちまち清風が起って、初めて精霊ある竹と知る。

*『西遊詩草』巻之上「竹」詩

おまけ 大窪詩佛 蘭亭序 落款は「文政五年歳在壬午十二月廿四日詩佛老人大窪行書於玉池精舎時天下雪而大寒呼酒解指弮乃能卒業 印 印」とあり、読み下すと「文政五年歳は壬午に在る十二月廿四日、詩仏老人大窪行、玉池精舎に書す。時に天下雪ふりて大いに寒し。酒を呼び、指の弮まがるを解き、乃すなわち能く業を卒う」となろうか。印文は上が「於玉池外史」下が「江山翁」。

作品は「江戸民間書画美術館 渥美國泰コレクション」より

参考文献:『大窪詩仏展 江戸民間書画美術館 渥美コレクション』

大森林造「大窪詩仏の詩と書をあじわう」完