日立の近現代史略年表
行政と企業の動きを中心に

1871年
明治4
廃藩置県により、日立市域は水戸県の管轄下になる。同年茨城県の管轄となる
1873年 江戸時代の庄屋などの村役人は廃止され、戸長・副戸長が置かれる
1889年
明治22
町村制施行により日立市域に2町12か村が生まれる
久慈郡
久慈村・坂本村(南高野・石名坂・茂宮・大和田)、東小沢村(留・神田・下土木内)、中里村(入四間・中深荻・下深荻・東河内)
多賀郡
坂上村(大沼・森山・水木)、国分村(大久保・金沢・下孫)、河原子町、鮎川村(成沢・油縄子・諏訪)、高鈴村(助川・会瀬)、日立村(滑川・宮田)、日高村(小木津・田尻)、豊浦町(川尻・折笠・砂沢)、黒前村(高原・山部・福平・黒坂)、櫛形村(伊師本郷・友部・伊師)
1897年 日本鉄道磐城線(09年国有化、常磐線)、水戸-平間開通。大甕・下孫・助川駅・川尻駅開設
1905年 久原房之助、日立村の赤沢銅山を買収し、日立鉱山と改称し操業を始める
1906年 日立鉱山、日用必需品を販売する本山供給所を設置。以後社宅区域ごとに開設
本山の附属医院に専属医配置
1907年 助川セメント製造所(日立セメント)設立
1908年 日立鉱山、大雄院の跡地に中央製錬所を建設、第1号溶鉱炉吹き入れ
多賀郡・久慈郡、日立鉱山大雄院の製錬所から排出される亜流酸ガスを含んだ煙で農作物や山林の樹木に被害が出る
日立鉱山、常磐線助川駅と大雄院製錬所間の電気鉄道敷設。使用開始
1910年 日立鉱山、日立村大字宮田字芝内に電気機械製作工場を建設(日立製作所の創業)
日立鉱山の要請によって地元の人々は日立村に(株)日立銀行創立(32年解散)
日立鉱山、製錬所のある大雄院地区に医院を開設。以後、地域医療の拠点となる
1912年
大正元
日立製作所、日立鉱山から独立し、久原鉱業日立製作所となる
1914年 日立電気(株)創立(1927年水浜電車へ合併)。日立・高鈴村に電灯用電気の供給を開始
1915年 日立鉱山、大煙突完成
1919年 日立鉱山と日立製作所の従業員大量解雇に反対運動が起こる(日立友愛会事件)
1920年 日立製作所、久原鉱業から分離独立し、(株)日立製作所となる
1921年 日立第五尋常小学校(現仲町小学校 1918年6月11日開校)は「財界不況ノ為鉱山従業者ノ激減ヲ見タル故、児童数共著シク減ジ、遂ニ大正拾年三月卅一日第四校[のち駒王校、46年廃校]へ合併シタリ」(「日立村誌」1921年刊)
1924年 日立村、町制施行
日立製作所、高鈴村助川に電線工場を建設、移転完了(10/1)
1925年 高鈴村、町制を施行し助川町となる
1926年
昭和元
助川裁縫女学院創立(のち、助川高等家政女学校→日立女子高→明秀学園日立高等学校)
1927年 県立日立中学校(日立一高)、日立町に開校。私立東海女学校、助川町に開校(日立二高)
1928年 常北電気鉄道により大甕–久慈浜間に電車開通。翌年、久慈浜–太田間電車開通
1930年 日立製作所、助川町に約10万坪の敷地を獲得し、新工場を建設(海岸工場)
この年から翌年にかけて日立鉱山・日立製作所で合理化。大量の解雇者を生む
助川町停車場線(通称新道、現銀座通り)拡幅
1931年 1929年4月に3806人を数えた日立製作所日立工場の従業員数は、この年2139人に減少
久慈郡東小沢村(留・神田・下土木内)で小作人組合結成。地主に対し小作料3割低減を求める
久慈町の小伝馬舟漁業者、小舟出荷組合を創立。東京の問屋と直接取引
1932年 茨城県衛生課、日立鉱山の私設水道に赤痢の防止策を勧告(4/28)
日立町の日立銀行、解散を決定
日立製作所、各方面からの大量受注で生産に活気
1933年 助川署、日立製作所・日立鉱山の従業員を共産党のシンパとして治安維持法違反で検挙
日立・助川両町に赤痢・疫痢流行。6月から8月にかけて16人死亡
久慈町で税金滞納が多く、教員の給料遅配・欠配
日立製作所、1千万の増資とともに海岸工場の第2期拡張工事に着手
1934年 助川国防婦人会発会。会員127人(9/11)
日立鉱山従業員三千五百人による国防研究会発会
日立製作所、助川町会瀬に五万坪の土地買収に着手
日立鉱山でジフテリア流行。14人死亡
1935年 常磐線助川駅、橋上改札口開設
日立鉱山本山石灰山社宅の裏山土砂崩れ、30人死亡〈概要は こちら 1935年日立鉱山石灰山の惨事 を参照〉
1936年 国分村会、日立製作所の土地買収に地主との交渉斡旋に乗り出す
日立製作所、日立工場の事務所を山手工場から海岸工場に移転
日立製作所、久慈町大甕に買収した地にゴルフ場を開場
1937年 日立製作所、従業員社宅建設のため鮎川村成沢に用地の買収を始める
日立製作所大甕ゴルフ場敷地、久慈町の元地主ら買い戻しを要求〈経過は こちら 大甕ゴルフ場用地買収紛争 を参照〉
都市計画に基づく茨城県初の土地区画整理を助川町会瀬で実施(39年完了)
1938年 日立製作所日立病院開院(日立総合病院)
日立製作所、国分村で工場建設の地鎮祭挙行
1939年 4月1日、多賀町成立(河原子町・国分村・鮎川村合併)
同日、日立製作所多賀工場開場式
官立多賀高等工業学校(後、多賀工業専門学校 現茨城大学工学部)開校
9月1日、日立市成立(日立町・助川町合併)
日立市長に日立鉱山の副所長福田重清が就任(40年11月辞任)
1940年 日立製作所日立第一工業青年学校(日立工業専修学校)、成沢に移転
強制連行された朝鮮人、日立鉱山に就労を開始
1941年 多賀郡坂上村(水木・森山・大沼)、多賀町に編入
新日立市長に新開諦観(元八幡市長、内務官僚)就任(45年4月まで。その後任は日立製作所出身の高島秀吉)
日立製作所、日立鉱山供給所の利用から独立して独自に供給所を設立
1942年 多賀町の多賀都市計画第1期工事起工(4/15)
日立製作所日立病院多賀分院開院式(5/1)
日立市立中学校(現日立工高)開校(5/5)
常北電気鉄道、大甕-日立間軌道延長認可
1943年 日立市都市計画街路事業および土地区画整理事業決定
1944年 日立製作所・日立鉱山、軍需会社法による軍需会社として指定を受ける
強制連行された中国人、日立鉱山に就労
1945年から67年までの詳細は こちら 日立現代史年表 1945-67年 を参照ください
1945年 高萩炭鉱(株)、櫛形炭鉱(櫛形村)を開業
日立市域、アメリカ軍の空襲をうける。1600人の死者
 6月10日、日立製作所海岸工場一帯、空襲。1トン爆弾により壊滅
 7月17日、午後11時過ぎから艦砲射撃
 7月19日、午後11時より焼夷弾攻撃。市街地焼失
アメリカ占領軍第一騎兵師団、日立に進駐(9/1)
日立市長に日立製作所の高島秀吉就任(9/-)
1946年 日立鉱山と日立製作所に労働組合が創立
初のメーデー、日立工場・日立駅・関東配電・日立水道・日立ガス・日立市役所・日立郵便局・日立セメントの各労組参加(5/1)
日立市425人・多賀町132人の朝鮮人帰国(5/18)
日立市と多賀町の復興都市計画決定(6/27)
1947年 地方自治法初の市町村選挙。日立市長に日立製作所出身の高島秀吉(以後、63年まで3期)
日立市の自警団、消防団に改組(5/31)
日立電線工場、日立工場から分離(9/1)
カスリーン台風で日立鉱山の社宅住民27人死亡(9/15)
1948年 シオン学園高等部開校(4/1 74年、茨城キリスト教学園高等学校と改称)
日立郵便局前の政治集会に武装警官乱入(8/24)。
日立商工会創立。会員275人(9/26)
日立水道(株)が市営となり、業務開始(10/1)
1949年 茨城キリスト教短期大学開学(4/19)
日立製作所下請け37社、日立地区工業協同組合を結成(6/30 後、日立製作所下請工業協同組合、日立製作所工業協同組合と改称)
1950年 日立市で初の保育所(神峰保育所)開所(4/18)
日立信用組合創立集会。日立市・多賀町・日高村を区域として中小商工業者300人が加入(4/20)
日立製作所、5555人を解雇(5/5)
日立市商工会、(社)日立商工会議所と改組、会員532人(11/29)
日立市身体障害者福祉協議会設立
日立市戦災復興都市計画、全体計画の5割完成
1951年 日立鉱山排煙利用硫酸製造工場完成(1/31)
日立市内の小学校で完全給食始まる(2/10)
日立市都市計画36m幹線道路(日立停車場線、平和通り)開通(12/25)
1952年 日立新駅完成(5/1)
日立市で破防法粉砕民族危機突破大会開催。デモ隊と警官隊もみ合い、日立製作所日立工場海下門詰め所に火炎瓶投げられる(6/17)
日立交響楽団、第1回演奏会を日立二高に開く(11/3 結成は3月30日)
1953年 県立多賀高等学校設置(2/11)
神峰公園整備促進会結成(6/15)
日立市社会福祉協議会創立(66年5月、社会福祉法人の認可を受ける)
1954年 日立市教育委員会、小中学校助教諭に「能力テスト」実施。茨城教組撤回を求める(2/9)
数沢川付け替え工事竣工式(3/31)
1955年 多賀郡櫛形村と黒前村合併し、十王村成立(2/11 翌年町制)
多賀郡多賀町・日高村、久慈郡久慈町・中里村・坂本村・東小沢村、日立市に編入(2/15)
日立一高本山分校設置・開校(4/1)
茨城大学に工業短期大学部設置(7/1)
日立市人口、131,011人(10/1)
1956年 日立電線工場、日立製作所から独立して日立電線(株)となる(9/1)
豊浦町を廃し日立市に編入(9/12 9/20施行)
久慈港期成協議会結成(11/14)
日立電線、日高分工場用地買収に取りかかる(12/2)
戦災復興を目的として日立都市計画豊浦および河原子復興土地区画整理事業施行規定制定(12/19)
日高地区工場誘致期成同盟会結成(12/2)
1957年 久慈港(59年日立港と改称)起工式(6/15)
かみね動物園開園(6/-)
日高地区土地区画整理事業認可(11/29)。工場用地の造出を企図したが、買収は困難を極める。最終的には買収30%、残りは借地。なお区画整理事業の対象面積は128ha、事業(換地処分)完了は69年 3月20日
中国紅十字社代表団一行(代表李徳全)13人、日立鉱山を訪問(12/22)
1958年 日立電線、日高分工場(63年9月に日高工場)にアルミ工場完成(3/-)
日立市文化協会連絡協議会発足(9/- 69年に日立市文化協会と改称)
水戸日立間相互自動即時通話サービス開始(11/16)
日立市総合都市計画決定(12/18 15年計画で人口28万人を想定)
6号国道の拡幅・付け替えがはじまる
日立製作所、池の川アパート建設(4棟120戸)
日立製作所、住宅等建売分譲規定制定。日立土地(1939年設立、のち日立木材地所)、初の分譲用住宅地を成沢表田に約2000坪買収(翌年28区画販売)。のち成沢地区向山、荒屋、芳原、二の相川、上諏訪の分譲が続く
1959年 日立市工場設置奨励条例制定(3/- 最初の適用企業は日立電線日高工場)
日立製作所と日立鉱山出身の候補による「労使一体企業ぐるみ選挙」とよばれる市長選挙。高島秀吉当選。日立鉱山出身の福田重清落選。同時に市議会議員選挙、県労連日立地区協議会推薦候補、16人当選
県私立学校労組、日立女子高理事長らを相手取り地方労働委員会に組合弾圧など不当労働行為申立て(6/27 8月21日和解)
鶴ケ鼻老人ホーム開設(8/1)
日立港に第1船入港(10/-)
日立市長選挙無効訴願、市・県の選挙管理委員会に提起するも却下
日立市精神薄弱者育成会(手をつなぐ親の会)設立
1960年 日立鉱山電車、便乗車廃止(5/31 貨物輸送の廃止は10月5日)
日立製作所、第1次住宅総合対策(持ち家制度推進 64年住宅総合対策により進展)
日立港後背地214万5000㎡、土地区画整理事業区域として建設大臣の許可おりる
1961年 茨城キリスト教学園中学校開校(4/1)
日立市住宅公社設立(5/10)
諏訪鉱山操業変更(1)含銅硫化鉱のみの採掘(2)選鉱廃止。粗鉱を本山へ送る
日立製作所工業協同組合、那珂郡笠松地区に工場集団化を計画、造成工事完成したものの計画の8分の1の達成に終わる
ユージン・スミス、日立を撮影
1962年 日立港後背地土地区画整理事業(211ha)認可(2/14)
市住宅公社、諏訪町に西田団地分譲開始(2/20)
日立市長選挙無効訴訟に対し、最高裁は上告棄却(3/-)
諏訪鉱山の閉山に伴い市立上諏訪小学校廃校(3/-)
日立製作所下請の茨城電気(株)、受注減と金融難から人員整理(7/10)。月末までに60人整理
日立鉱山合理化実施、700人余解雇(8/-)
常磐線勝田–高萩間で電車運転開始(10/1)
日立市立記念図書館開館(11/6)
日立土地(株)、石名坂団地(210区画)の開発に着手
1963年 県立日立商業高等学校開校(4/1)
日立市長選挙。日立製作所の万田五郎無投票当選(以後、75年まで3期12年)
平和通り周辺地区に第1次住居表示実施(5/1) 〈あらましについては こちら 日立の住居表示行政の歴史と住民意識 を参照〉
神永電線(株)、大量人員整理(165人)と操業短縮を発表(10/24)。日立本社の労組結成準備会、退職金増額・退職者の就職斡旋を条件に受諾。石岡工場労組、同案を拒否して48時間ストライキ。11月6日、日立電線、神永電線の再建に参画
この年から日立市人口の社会減が始まる
1964年 日立市公害問題調査会発足(10/1)
1965年 日立電線㈱、豊浦分工場起工(4/1)
日立市の下請企業、中小企業振興対策協議会結成(7/26)
水戸日立地区広域と死海初促進協議会発足(9/2)
日立市民会館開館(9/15)
日立でベトナム反戦集会(9/21)
諏訪鉱山閉山(10/1)
日立港、茨城・栃木・群馬3謙を藩医とする第2次港湾整備5カ年計画着手。このとき15万7000㎡の貯木場建設開始
日立港後背地第2次開発計画着手
日立木材地所、山の神団地第1次販売(219区画)
市住宅公社、南高野地区に1100戸の市営住宅及び分譲住宅建設に着手(完成は68年)
1966年 日立郵便局、県内初めて日曜日配達廃止(4/3)
久慈鉄工団地完成(5/17)
日立市、大気汚染測定開始(9/1)
市住宅公社、根道ヶ丘団地(305戸)の造成開始
1967年 茨城キリスト教大学開学(4/20)
日立港、国の重要港湾に指定、貿易港となる(6/1)
久慈地区区画整理事業(面積17ha)、組合方式で認可(6/27)。以後、日立市内における区画整理事業は50ha以下の宅地開発を目的とした小規模なものに限られ、事業主体を土地所有者とする組合方式に転換
日立市福祉団体連絡協議会設立(8/−)
日立ボランティア協会設立(11/-)
日立市公害対策委員会設置条例制定(12/25)
かみね動物園拡張工事始る
1968年 神永電線㈱、東日電線㈱と社名変更(1/- 7月日立電線は東日電線に資本参加)
日立養護学校開校(3/−)
煤煙規制法の指定地域となる
日立市精神障害者を守る会設立(4/−)
日立市ひまわり学園(精神薄弱児通園施設)開設(6/1)
日鉱不動産、鹿の場団地(100戸)造成完了
日立木材地所、金井戸団地(久慈町 200戸)造成完了、大沼団地(430戸)の造成に着手
1969年 日立製作所の供給所、日立福祉サービス(株)として独立(1/21 2/1営業開始)
日立市長期計画案発表(6/−)。日立市はみずからを「のぼりきった太陽」とたとえる。「市内鉱工業生産の構造や規模が、すでに拡張の余地のないまでに拡大し、成熟した都市
日立市、騒音規制法の指定地域となる(7/1)
日立製作所大みか工場設立(8/21)
日立市、宮田川・桜川流域の井戸水の水質(カドミウム)調査実施(10/8)
日立製作所下請けの春陽製作所倒産(12/5)
茨城県議会で日立セメントの粉塵降下の公害に関する請願採択(12/−)
日立市財政力指数1を割り込み、地方交付税の交付団体となる
市住宅公社、金沢団地(800戸)造成開始。日立木材地所、山の神団地(350戸)造成に着手
公共下水道事業開始
1970年 日立電線砂沢工場用地の買収開始(4/− 完了は73年3月、31万㎡)
首都圏整備法による水戸日立都市開発区域に日立市ほか指定(5/25)
日立市太陽の家(重症心身障害児保育通園施設)開設(7/5)
宮田川をきれいにする会発足(10/−)
日立セメント工場周辺住民の健康診断(12/19〜22)
日立木材地所・日立電鉄㈱、青葉台団地(568戸)分譲開始
日立メディカルセンター設立
1971年
水戸・日立都市開発区域整備計画決定(3/−)
日立市公害防止条例制定(4/1)
心身障害児家庭奉仕員派遣制度実施(4/−)
日立伊勢甚開店、売場面積5963㎡(6/−)
常陸多賀駅前の石灰工場移転により、粉塵被害解決(6/−)
日立市、市民活動部設置(7/1)
日立市海岸クロマツ林枯損原因調査実施(8/19 調査結果は73年10月)
市、74年の茨城国体開催のため日立市民運動実践協議会を組織(11/−)
日立宅地開発(株)、小木津町に松ヶ丘団地(360戸)開発着手
1972年 環境を守る日立市民会議発足(2/9)
常磐自動車道、千代田日立間の整備計画決定(6/− 三郷石岡間は63年に決定)
日立セメント公害問題調査会発足(11/4)
水戸日立大規模都市建設の基本構想発表。「商港のある総合都市」(11/−)
日立鉱山、製錬部門の近代化と無公害化を図るため自溶製錬方法に転換。これにより煙害はほぼ消滅(12/12)
日立木材地所、堂平団地(380戸)造成事業完成、塙山団地(515戸)、下相田団地(400戸)の造成に着手 〈これ以後の住宅団地造成経過は こちら 日立市における住宅団地の開発状況 を参照〉
この年から日立市人口の自然増加率低下
1973年 櫛形炭鉱閉山(1/31)
粉塵公害の日立セメント、住民と和解協定締結(3/31)
公共下水道、一部供用開始(4/−)
日本鉱業、日立鉱業所の採鉱部門を分離、子会社の日立鉱山株式会社へ移す(6/1)
日本原電東海発電所の突堤工事をめぐって久慈町の2漁協、原電と県漁連に抗議(8/18)、海上デモ(9/2)
日立市、カドミウム汚染地域の住民検診により半数の尿の中からカドミウムを検出(11/24)
日鉱不動産、みかのはら団地(216戸)の建設事業完了(−・−)
1974年 カドミウム汚染米の補償問題で、日鉱と周辺住民組織、5項目の覚書に調印 (3/18)〈内容については こちら 史料 入四間と高原地区のカドミ問題 を参照〉
環境を守り基本条例制定(3/30)
日鉱不動産、川尻団地(219戸)の造成に着手(−・−)
この年、人口20万を超える
1975年 日立市社会福祉事業団設立(1/17)
日立南工業団地協同組合設立(2/4)
市立本山中学校廃校
特別養護老人ホーム萬春園開設(4/1)
日立市郷土博物館開館(4/11)
日立市長に立花留治当選(4/27 91年まで4期16年)
神峰町再開発について地元関係者と関係機関が調整を始める(7/−)
騒音規制法の指定地域、市内全域に及ぶ(10/1)
キャバレーゴールデンクイーンで出火、3人死亡、72人重軽傷(12/19)
1976年 日立駅前再開発調査委員会(第1次)設置(4/−)
日立電線豊浦工場、豊良台団地138区画社員に分譲(9/30 川尻町赤坂で買収開始、70年12月買収完了)
水戸日立都市圏整備基本計画、茨城県庁義において決定(9/−)
日鉱不動産、高鈴台団地(426戸)の建設に着手
1977年 日立駅前開発基本構想まとまる(3/−)
神峰町再開発基本計画まとまる(3/−)
水戸日立都市開発区域整備計画決定(3/−)
常磐自動車道起工式(5/19)
市住宅公社、大沼町に台原団地(約800戸)の建設に着手(6/−)
日立市、悪臭防止法の指定地域になる
1978年 市立本山小学校閉校(3/25)
日立市、振動規制法の指定地域となる(4/1)
日立製作所の下請の大川電機、2億8000万円の負債を抱え倒産(4/4)
日立セメント公害防止協定調印(9/22)
神峰町再開発計画に反対する日立商業秩序を守る会設立(9/−)
日立商業秩序を守る会、日立市長および日立商工会議所会頭に大型店出店反対陳情(11/−)
1979年 市立大雄院小学校閉校(3/26)
日立鉱山選鉱廃液パイプ流送に伴う公有水面埋め立て工事竣工(3/31)
日立商業振興会、大型店出店促進を東京通産局に陳情(4/−)
日立港後背地区画整理事業、換地処分完了(9/6)
(財)日立市生きがい事業団発足(10/11)
(社)日立市シルバー人材センター許可(10/18)
(株)伊勢甚、神峰町再開発事業地への大規模小売店舗法による出店届出(10/-)
1980年 日立市、公共機関での合成洗剤の使用を中止(3/18)
日立港から真岡線茂木駅までの国鉄常野線期成同盟会、衆議院内で総会(3/25)
日立市清掃センター運転開始(4/1)
交通緩和実験開始(9/1)
1981年 日立市消費者大会、清涼飲料水自動販売機追放を宣言(2/18)
県立日立北高等学校開校(4/1)
日立港に密輸防止の監視艇配備(5/20)
日立市公設市場開設(8/22)
日立鉱山閉山(9/30)
老人のための明るい町水深行、国の推進都市に指定(−・−)
1982年 日鉱記念病院竣工式(1/11)
常磐自動車道日立トンネル開通(4/20)
日立市大みかけやき荘(精神薄弱者更生施設)開設
日立駅前開発調査委員会発足(8/3)
入四間町カドミ汚染水田に日立市中里若者センター建設(−/−)
1983年 日立市民生協、デポジット制県内初の実施(3/1)
日立駅前再開発事業地、日本鉱業と日立市の譲渡契約(3/25)
神峰町再開発事業、組合施行に変更(7/− 10月工事着工)
人口206, 260人(10/1)。日立市の人口ピーク
日立駅前開発整備計画策定(12/−)
日立銀座モール完成(−/−)
1984年 県立日立第二高等学校定時制、最後の卒業式(3/2)
神峰町再開発事業工事着工(6/−)
塙山コミュニティセンター開館(5/13)
6号国道日立バイパス、都市計画決定(8/−)
1985年 常磐自動車道、那珂-日立南太田間開通(2/20)
久慈川水系勧業保全協議会設立(3/1)
神峰町再開発事業工事完了(5/- 翌6月店舗開店)
常磐自動車道、日立南太田-日立北間開通(7/3)
日立駅前土地区画整理事業に着手(7/-)
日立市、核兵器廃絶・平和都市宣言(12/−)
1986年日立駅前開発方針決定(9/-)
1987年 久慈川河口付け替え跡地に「サンピア日立」開設(11/8)
「日立市基本構想・基本計画」は日立市を県北における「広域的中核都市」として位置付ける(12/-)
日立南工業団地造成に着工(−・−)
1988年 常磐自動車道日立北-いわき中央間開通(3/24)
日立市北部工業団地開発基本計画まとまる(3/- 市内中小企業の移転および他地区企業の進出を期待)
中成沢町の文化の森公園基本計画まとまる(3/− 着手されず)
日立信用組合、多額の不良債権をかかえて経営悪化、責任をとって理事長辞任(5/16 04年茨城県信用組合に統合)
日立市、日立駅前再開発地にシビックセンター着工(7/25)
日立駅前再開発地への大型店進出に対し、日立商工会議所を中心に日立駅前対策都市部商店街整備委員会発足(9/5)
1989年 4・- 日立市南部・北部地区の下水道供用開始(4/-)
1990年
平成2
新本山トンネル開通(1/17)
日立シビックセンター開館(11/8)
日立市の産業別就業人口、第3次産業就業者が第2次のそれを初めて上回る。第1位—製造業35,503人、第2位—サービス業25,040人、第3位—卸売・小売業、飲食店17,728人
1991年 助川山火災。住宅8棟焼失(3/7)
日立市長選挙、飯山敏雄当選(99年4月まで2期)
市住宅都市整備公社、田尻町に住宅団地分譲開始(7/− 98年度までに847戸)
1992年 日立市、文化振興指針を策定(6/−)
日立製作所、茨城2区の自民党候補への票割りの撤廃を決定(6/−)
メルセデス・ベンツ日本輸入車整備工場、日立南インター隣接地で操業開始(−・−)
1993年 日立製作所、茨城2区自民党候補への「票割り」の撤廃を表明(6/-)
常磐自動車道日立中央インターチェンジ開設(10/20)
1994年 日立市、山側道路多賀・石名坂間都市計画決定(1/27)
入四間町旧共同牧場に奥日立きららの里開園(5/25)
日立市・十王町・高萩市・北茨城市の5農協合併。茨城ひたち農協発足(8/1 14年常陸農業協同組合に編入統合)
市議会議員定数40から34議席への削減及び企業選出議員数に枠を設ける直接請求。市議会本会議で請求案否決、議員提出の4議席削減案可決(8/3)
日立市多賀農協の青果市場閉鎖(8/31)
1995年 日立市北部工業団地敷地造成工事完成(9/−)
日立市の人口20万人を割る
1997年 日立市社会福祉事業団労働組合結成大会、自治労加盟(3/11)
2000年 国勢調査(10/1)、日立市の人口は193,353人。のちに日立市に編入する十王町は13,236人
2004年 国立社会保障・人口問題研究所は2000年の国勢調査に基づき将来推計人口を発表(1/−)。日立市は2020年162,559人、30年141,281人と推計
十王町を編入(11/1)
〈将来推計人口:2004年に発表された十王町の20年の推計人口は12,769人。日立市と十王町のそれらを合計すると175,328人。2020年8月の日立市常住人口は174,047人であり、推計を超える減少を示している〉

■ このページの作成にあたっての調査は、制作者の個人的事情で基本的に1998年3月で中断したままです。