史料 照山修理伝説
常陸国多賀郡金沢村庄屋照山修理寛永検地反対強訴事件

寛永18年(1641)に起こったこの事件を伝える史料は、すべて後世のものである。事件当時記録されたものはない。もっとも近いもので寛政元年(1789)に記録された「農政要略」である。事件から150年がたっている。つまり照山修理がおこした事件は「伝説」として語られてきたものである。
 しかし民話ではなく伝説であるから、その中に事実が含まれているはずである。その事実をすくいとる作業が必要である。
 また伝説のつくられかたは江戸時代の民衆および為政者の意識のありようを示すものである。
 これら二つの点からの照山修理伝説を検討する基礎史料を紹介する。

以上の7点である。

なお原本には句読点はないが、読みやすくするためと編者の理解を示すために読点(、)を適宜入れている。

[註]

  1. 寛永検地:寛永18年(1641)水戸藩ががはじめて行った全領検地のこと。
  2. 強訴:照山修理を頭取とする検地反対訴願行動は「強訴」とされてきた。
     一般に強訴は江戸時代における百姓一揆の典型的な形態とされ、百姓らが大勢で城下あるいは陣屋などに押しかける行為をさす。17世紀末に出現し、18世紀初頭の正徳から享保年間から一般化。幕府はこれを厳禁し、頭取を死罪などに処した。
     照山修理らの行動は、これら一般的な理解とはことなるが、史料の上で強訴と表記されているので、従うこととした。
  3. 参考文献:鷺松四郎「金沢村農民強訴の伝説について」『日立史苑』(第7号)、「金沢村庄屋照山修理らの強訴」『新修日立市史』(上巻)