史料 日立鉱山における宮田川汚水対策

1960年代、所得倍増計画、新産業都市の指定によって産業の発展が著しく進む一方、水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそくなどの被害が広がり、大きな社会問題となった。それに対し、不十分ながらも1967年8月公害対策基本法が公布された。当時、日立市入四間町や十王町高原の水田でのカドミウム汚染米も社会問題として大きく取りあげられていた。

本記事は、そのようななか、1969年に日立鉱山の従業員向け広報紙『日立鉱山ニュース』に掲載されたものである(縦書きを横書きに改めた。[ ]は編者註)


[本文]

  竹本副所長に聞く
    当面、一億円で浄化
      当所宮田川汚水対策案

公害問題が重視されているおりもおり、新聞で宮田川の汚水問題がとりあげられ世間の関心をひいている。そこ当所がどのような姿勢で、この問題に取り組もうとしているのか、このへんの考え方を竹本副所長に聞くことにした。


『日立鉱山ニュース』(第199号 1969年10月1日)

参考文献