史料 昭和戦前期における茨城県の漁村別鰹節生産高
茨城県における鰹節の生産は昭和期に入ると顕著な衰退期を迎える。この時期の漁村別生産状況を『茨城の水産』によって示す。
郡別の数値は 史料 茨城県の郡別鰹節生産高 に示しているとおりである。これらを郡別からさらに漁村別の推移をみたいところであるが、当時各町村が記録している「事蹟簿」にあたらなければならない。それには少々時間を要する。その前に時期は限られるが、漁村別の数値を一覧できる『茨城の水産』によって生産統計を紹介する。
目次
- 昭和3年
- 昭和6年
- 昭和9年
- 昭和14年
- 附録 明治30年の鰹漁規模
史料について
- ◦出典:『茨城の水産』。それぞれの表の末尾に巻号を示した。
- ◦鰹節生産金額及び数量:『茨城県統計書』(以下、統計書)と『茨城の水産』(以下、水産)では異なる。いずれも『統計書』より『水産』が高い数値を掲げている。
例を二つあげよう。
(1)『統計書』では昭和6年の県全体として40,403貫、184,845円に対し、『水産』は65,930貫、285,400円という数値を示している。
(2)『統計書』において昭和14年に鰹節の生産がないことになっている久慈郡(久慈町)は『水産』では1,000貫、8,000円の値を示している。
こうした値の違いについて、『水産』のはしがきに「書中に引用したる統計数字は、或は産業統計に拠り、或は商工水産課独自の調査に係る」とある。つまり『水産』は商工水産課独自の調査に拠っており、『統計書』と差違があると考える。いずれが実態に近いのかとえいば『水産』にちがいない。
ちなみに、『統計書』の数値を久慈町(久慈郡)についてみると、久慈町役場編『事蹟簿』(日立市郷土博物館蔵)に同じである。
漁村について
- ◦磯浜:東茨城郡郡に属し、明治22年町制施行。現在は大洗町。
- ◦湊:那珂郡に属し、明治22年に町制を布く。昭和14年に那珂湊町と改称。昭和29年、前渡村の大字前浜と平磯町を編入し那珂湊市。現在はひたちなか市。
- ◦平磯:那珂郡。明治22年に町制を布く。昭和29年那珂湊市へ編入。現在はひたちなか市。
- ◦磯崎:平磯内にある漁村集落。平磯漁港から北へ3キロメートル余に磯崎漁港がある。現在はひたちなか市。
- ◦久慈:久慈郡に属し、明治27年町制施行。現在は日立市。
- ◦坂上:多賀郡。明治22年水木・森山・大沼の3ヶ村を統合し誕生。坂上村で漁業が行われるのは水木のみ。現在は日立市。
- ◦河原子:多賀郡に属す。明治22年一村で町制を布く。現在は日立市。
- ◦豊浦:多賀郡に属す。明治22年、川尻・折笠・砂沢の3ヶ村を統合して町制を施行。豊浦町で漁業が営まれるのは川尻および折笠の浜集落。現在は日立市。
- ◦大津:多賀郡。明治22年単独で町制施行。現在は北茨城市。
- ◦平潟:多賀郡。明治22年単独で町制施行。現在は北茨城市。
昭和3年(1928)
製造 戸数 | 従業 員数 | 数量 | 金額 | 時期 | 販路 | 漁村 | 戸数 | 従業員 | 数量 | 金額 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
94 | - | - | 499,600 | - | - |
磯浜 湊 平磯 磯崎 久慈 河原子 豊浦 大津 平潟 |
8 28 5 6 11 3 5 25 3 |
- |
- |
82,400 159,500 7,200 16,500 95,000 4,000 16,000 112,000 7,000 |
『茨城の水産 昭和4年』(1929年刊)
昭和6年(1931)
製造 戸数 | 従業 員数 | 数量 | 金額 | 時期 | 販路 | 漁村 | 戸数 | 従業員 | 数量 | 金額 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
90 | 642 | 65,930 | 285,400 | 5〜9月 | 東京 名古屋 群馬 栃木 県内 |
磯浜 湊 平磯 磯崎 久慈 坂上 豊浦 大津 平潟 |
5 28 8 3 10 4 6 25 1 |
25 196 32 11 100 11 12 250 5 |
3,000 15,000 5,000 2,500 15,500 130 5,000 13,500 6,300 |
9,000 90,000 15,000 10,000 62,500 450 12,500 60,750 25,200 |
『茨城県の水産 昭和7年』(1932年刊)
昭和9年(1934)
製造 戸数 | 従業 員数 | 数量 | 金額 | 時期 | 販路 | 漁村 | 戸数 | 従業員 | 数量 | 金額 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
68 | 479 | 29,700 | 134,250 | 6〜9月 | 東京 群馬 栃木 埼玉 千葉 県内 |
磯浜 湊 平磯 磯崎 久慈 豊浦 大津 平潟 |
10 12 18 3 9 5 10 1 |
70 48 144 8 135 15 50 5 |
4,000 6,500 2,000 500 10,000 1,200 5,000 500 |
16,000 29,000 10,000 1,750 50,000 4,800 20,000 2,500 |
『茨城の水産 昭和十一年版』(1936年刊)
昭和14年(1939)
製造 戸数 | 従業 員数 | 数量 | 金額 | 時期 | 販路 | 漁村 | 戸数 | 従業員 | 数量 | 金額 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
43 | 329 | 19,323 | 115,700 | 5〜9月 | 東京 神奈川 静岡 群馬 県内 |
波崎 磯浜 那珂湊 平磯 久慈 豊浦 大津 平潟 |
1 6 8 5 1 4 15 3 |
2 60 80 40 5 40 90 12 |
200 6,000 2,050 523 1,000 1,000 8,000 550 |
1,400 33,000 13,325 2,610 8,000 7,000 48,000 2,365 |
『茨城の水産 紀元二千六百年記念版』(1940年刊)
附録 明治30年の鰹漁規模
鰹節の製造は鰹漁と一体である。鰹漁については別途紹介の予定であるが、茨城県内各漁村の鰹漁の規模が一覧できる明治30年(1897)の統計を示す。もちろん漁獲地=製造地ではなく、また漁獲高=製造高でもない。しかしこの時期における鰹節製造地を一覧的に示すものがなく、そうしたことを類推できるものとして紹介する。
郡名 | 町村名 | 鰹漁船数 | 乗組漁夫雇数 | 鰹漁獲高 数量:貫 価格:円 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
東茨城郡 | 磯浜町 | 60 | 1,320 | 190,000 | 82,500 | |
那珂郡 | 湊町 | 32 | 704 | 317,800 | 104,400 | |
平磯町 | 78 | 2,000 | ||||
久慈郡 | 久慈町 | 18 | 360 | 102,950 | 38,101 | |
多賀郡 | 坂上村水木 | 8 | 144 | 335,900 | 103,460 |
|
河原子町 | 13 | 234 | ||||
高鈴村会瀬 | 10 | 180 | ||||
豊浦町 | 16 | 320 | ||||
大津町 | 30 | 600 | ||||
平潟町 | 7 | 123 | ||||
合計 | 十ヶ町村 | 297 | 5,988 | 946,650 | 328,461 |
『茨城県水産誌 第五編』p.7(鰹漁獲高は明治30年『茨城県統計書』より)