明治中期における茨城県の鰹節生産

目次


明治30年の水産博覧会

第2回水産博覧会が兵庫県神戸市楠町を会場にして明治30年(1897)9月1日~11月30日に開かれた(第1回は明治16年に東京で開催)。漁業、製造、養殖、教育・学藝・経済、機械器具、水族の6部に分かれ、全国から2万4千人余、4万6千点余もの出品があった[1]

製造の部に属する鰹節の出品点数は22県から1164点、高知県がもっとも多く200点、次いで静岡県185点、そして茨城県は3番目の127点。それらが審査を受け、多賀郡大津町(北茨城市)の山縣雄助は88.3点を獲得し11位となり、10貫で31円の値がついた。ちなみに百点満点は高知県の山崎義道ひとりで、10貫目45円の価格がついた。つまり山縣の1.5倍の値がついたのである[2]

鰹節を評価する審査官は3人。いずれも国の専門家だが、ほかに審査補助員として、東京と大阪の「販売ニ老練ナル商人」各二人、「著名生産地タル高知、静岡ノ二縣」の製造者各一人計6人がついた[2]

[註]

以下、『第二回水産博覧会審査報告』によって明治中期における鰹節生産について茨城県を中心に見てゆく(引用文中[ ]は引用者)

鰹節の需要

鰹節類[鰹節・鮪節・鯖節]ハ本邦古来習慣ノ食品ニシテ、上下一般ノ嗜好ニ適スト雖トモ亦保生上必要ノ料食ニアラスシテ、寧ロ奢侈品ニ属スルモノナリ、故ニ生計ノ上進スルニ伴フテ倍々製品ノ改良ヲ謀ラサルべカラス、鰹節ハ多ク上流社会ノ需用ニ属シ、農家ノ如キハ日常食料ノ調味ニハ多ク煮干ノ鯷鰮[カタクチイワシ]ヲ用ヒ、鰹節ノ如キハ容易ニ食セサルモノナリシカ、十年以来生計ノ度モ亦タ漸進シ、随テ人情奢侈ニ傾ムキシヲ以テ節類ノ需用自然ニ増加シ、地方ノ当業者モ亦鰹漁ノ利益ト製品改良ノ必要ヲ覚リシヲ以テ、地方廰ニ於テモ亦タ気運ラ察シ大ニ勧誘シ、当業者ノ志気ヲ衝動セシメタリ、節類カ今日ノ如ク改良進歩ニ向ヒシハ需用ノ増加ニ促進セラレタル結果ニ基クト雖トモ、地方廰ノ勧誘モ亦タ與テ力アリ

かつて鰹節は贅沢品として「上流社会」に需要があり、農村ではカタクチイワシの煮干が用いられてきた。しかしこの十年生活が豊かになるにつれて需要も増え、製造業者も利益と製品改良に関心をもつようになった、という。鰹節の改良が進んでいるのは、需要の増加のほかに地方(府県)庁の奨励策があるからだと指摘する。茨城県では明治23年から高知県から鰹節の教師を招いて改良に着手していた。

常陸節の評価

各地固有の製法あれは随て形状も亦自から異なり……舊昔より節の名産地として世に称揚せられたるものは土佐、薩摩にして次に伊豆とす

鰹節の名産地は高知、鹿児島ついで静岡、これが当時の世間一般の評判であり、審査員および審査補助員の認識である。こちら 諸国鰹節番付 にみる江戸時代文政期のそれと変わるところはない。

茨城県における鰹節類の品質について次のように評価する。

鰹節、鮪節、鰹亀節ノ出品アリ、一般ニ改良ノ機運ニ向ヒ、品位概シテ一定セリ、殊ニ大津町ハ進歩著シ、次テ久慈、河原子ノ村落モ亦進歩セリ、将来他ノ部落モ大津町ニ倣フテ鋭意改良セハ今一層常陸節ノ聲價ヲ発揚セン、従来本県ノ節ハ或部ハ改良ニ傾キシモ、亦或部分ニ於テハ舊来ノ製法ヲ墨守シ、節ニ非常ノ等差アリシカ、此回ノ出品ヲ看ルニ営業者此両三年時勢ニ感動シテ一意改良ニ熱衷セシノ跡ヲ認ム、殊ニ此回ノ出品ハ悉ク駿河節ニ因テ改良セシモノナレハ一層価値ヲ加ヱタリ、勉励セハ必ス出藍ノ名誉ヲ得ヘシ

大津町の進歩が著しく、ついで久慈町、河原子町も改良が進んでいる。他の浜も大津町にならって改良するなら常陸節の世間の評判も高まろう。今回出品されたものはこの数年、駿河節(静岡県大井川以東で伊豆を除く)の製法を学んで改良が加えられた、と審査員たちは評価した。

刻苦「勉励」するならば、常陸節の声価は必ず高まるであろう、と審査員は期待する。しかし県が明治23年には高知県から指導員を招いて改良に着手していたにもかかわらずである。「勉励セハ」はスローガン的な励ましの言葉ではない。茨城県の製造者に欠けているのは努力であると審査員は心底そうとらえていたのである。

しかし改良が進まない低価格の常陸節にも需要はあった。次に紹介するように明治中期、常陸節の生産量は国内トップクラスだったことからわかる。

茨城県鰹節の生産量は全国2位

鰹節生産量において茨城県の地位は、けっして低くはない。というか明治27年には全国1位である。5年間の合計でみても、鹿児島県に次いで第2位である。品質において評判のもっとも高い高知県は第4位である。ちなみに30万貫以上の上位を並べてみる。3位は千葉県、5位静岡、6位岩手、7位三重、8位和歌山、9位長崎、10位宮城、11位福島である。これら上位11県で全生産量の88%を占める。

茨城県が2位であるのは、明治27年の生産量が飛び抜けて多いことによる(数字の誤読かと思えるほど)。そして年毎の生産量の変化が激しい。この傾向をもつのは、鹿児島県である。これに対照的なのが高知県と静岡県である。この2県はきわめて安定した生産をおこなっている。5年間という短期間の数値だけでみるのは危険であるが、品質評価の高い高知・静岡2県が安定的生産を行なっているのは、量より質をめざしているといえようか。示唆的である。

鰹節の生産は鰹漁がなされる地域に限られ、かつ漁獲量にその量が左右されるのは当然である。しかしそれ以上に鰹節の良質とされる生産には、煮る、燻すなどの燃料費なども余分にかかるだけでなく、多くの手間ひまがかかる。品質向上=価格アップのための勉励が求められるゆえんである。

それだけではなく、漁獲量変化への対応、夏期における一時的な労働力の確保、なかでも熟練労働者の確保ができるのか。資金の確保は。鰹の保管場所は(冷蔵庫はこの時期にはない)。さまざま課題につきあたる。いきおい簡便な製法をとらざるを得なくなる。それが常陸節への評価に反映しているのではないか。逆から見れば、簡易な製法ゆえに、つまり多くの手数、労力をかけないから、大量の鰹節が製造できたということであるかもしれない。茨城県における鰹節の生産量の毎年の大きな変動については、よりながいスパンで見ていく必要があるので、後日を期したい。

明治中期、全国鰹節生産統計

鰹節生産高について茨城県を全国に位置づけるため統計を紹介する。

府県 明治25年
1892
明治26年
1893
明治27年
1894
明治28年
1895
明治29年
1896
5年分合計 順位
 東海区
東京 1490 26
神奈川 2,025 3,460 300 2,946 2,570 11,301 19
静岡 138,499 118,527 117,953 105,204 150,345 630,528 5
三重 114,444 87,011 68,678 64,973 78,294 413,400 7
千葉 223,617 155,584 126,761 173,318 179,114 858,394 3
茨城 166,440
3位
比率100
137,460
5位
83
414,932
1位
250
86,923
8位
52
123,740
4位
74
929,495 2
 東北区
福島 24,156 129,871 99,235 22,019 32,467 307,748 11
宮城 58,835 64,468 92,475 82,041 32,356 330,175 10
岩手 79,000 91,757 107,366 135,385 46,875 460,383 6
青森 360 7,130 5 80,430 2,025 89,950 16
山形 130 130 24
秋田 20 2,078 200 2,298 22
 北陸区
富山 4,653 2,550 2,445 154,125 8,134 171,907 13
石川 444 1,884 3,628 2,250 976 9,182 20
 山陰区
鳥取 10 9 19 25
島根 50 120 170 23
山口 611 527 3,400 403 578 5,519 21
 南海区
和歌山 66,864 203,102 42,793 35,106 44,045 391,910 8
徳島 33,539 18,600 15,972 52,522 38,155 158,788 14
愛媛 3,550 17,832 24,049 8,450 6,821 60,702 17
高知 146,696 154,706 133,660 104,390 133,420 672,872 4
 西海区
長崎 76,335 78,246 85,056 89,444 61,840 390,921 9
大分 21,278 283 23 2,025 1,750 25,359 18
熊本 29,880 20,410 18,200 23,000 28,000 119,490 15
宮崎 91,452 68,964 18,541 9,521 26,961 215,439 12
鹿児島 351,795 380,204 138,294 131,910 94,932 1,097,135 1

補遺 明治27年茨城県鰹節生産量41万貫への疑問

上記「茨城県鰹節の生産量は全国2位」において「数字の誤読かと思えるほど」と注記した明治27年の茨城県の生産量41万4932貫は誤記で、実際は3万3千貫ほどでなかったかという疑問である。

明治27年を含む上記の表は、農商務省水産局『第二回水産博覧会審査報告 第二巻第一冊』(明治30年刊)によったが、その他、茨城県『茨城県勧業年報 第十四回(明治27年分)(明治28年刊)、茨城県『明治二十七年茨城県統計書』(明治28年刊)、山本高一『鰹節考』(昭和17年刊)、の何れも41万4932貫余である。

しかし茨城県編発行のふたつの統計書に郡別の生産量が示されていることに気付いた。それによればこの年、東茨城郡(磯浜と大貫浜)の生産量は33万3006貫。前年の26年は3万1680貫、翌28年は3万3151貫。例年の十倍という値である。これが茨城県全体の数値を押し上げている。

価額についてみれば、例年と大きな差はない4万1632円。県全体の価額も例年と大きな違いはない。県内あるいは他県の浜から荒節を購入し加工することで量的拡大を図ったとして、それは価額に反映するはずだが、その形跡は認められない。

さらに、明治27年における東茨城郡の鰹漁獲量38万480貫との整合性も認められない。

以上の点から、東茨城郡の誤った数値が幾重もの点検をくぐり抜けてしまい、そのまま県全体に用いられ、かつ全国統計にもそのまま反映されてしまったと考えたい。実際のところ茨城県全体の生産量は11万5千貫程度で、それは静岡県についで5位の数値となる。そして5年計についても55万貫余、順位は鹿児島・高知・千葉・静岡につぐ5位。この位置は妥当ではないだろうか。

2022-8-01

補遺 県水産巡回教師の指摘

第2回水産博覧会が開幕した明治30年9月、その前月8月に茨城県の水産巡回教師久留右一郎が那珂郡湊・平磯、久慈郡久慈、多賀郡河原子・豊浦・大津・平潟の水産製造所と製品を視察した。その目的は博覧会との何らかの関係があるものと思われ、復命書が『茨城県水産誌 第五編』に収録されている。この記事を見逃していました。紹介します。

久留は茨城県産の鰹節は、製造者が売り急ぐため一度しか黴をつけないこと、大漁の際には処理が「粗雑」になっていると指摘する。

那珂多賀郡二郡に於て製造する水産物中最も重要なるものは鰮〆粕、鰹節、乾鮑なりとす
鰮搾粕[略]
鰹節
鰹節は各地到る處改良の域に進み、火山[3]の如きは大概改良火山となし竃の如きも改良竃にして、燃料は石炭を使用せり(但し火山には松薪か古薪を用ゆ)、然れ共製造者は大概ね製品を賣急くの悪習あり、故に一番黴を附て終るや否や之を荷造して市場に出す、之れ実に本県節製造者の大欠点なりとす、是を当今世上に聲誉を博しつゝある伊豆製に比すれば殆んとなまりぶしと云ふも過言にあらざる可し、然れ共本県に於て鰹捕獲期には一時に千尾以上漁獲あり、従て之を處理するに当てや勢ひ製法粗雑に流るゝの不己得に起因すと雖も、可及的製法に注意せば市價も亦現今の如きに止まらんや、之れ将来大に改良の方法を採らざる可からざる要件にして、節製造者の熟慮を要する處なり
乾鮑[略]

鰹節のほかの水産製品含めて、以下のように総括する。
資本が十分でないこともあるが、製造者が「唯我独尊の境に彷徨」していることに大きな問題点があるとし、その解決方法をあげる。

要するに那珂外二郡の各製造家は皆水産物製法上改良の必要を認め汲々として之れが発達を期せり、誠に喜ぶ可き現象なりと雖、翻て顧れば二三の製造家を除けば自ら率先して改良を促し、以て他の仝業者を誘導するの勇気に乏しく、偶々巡回教師の指導に依り之れが改良をなすも、恰も石を抱て深淵に臨むの念を懐かざるもの稀なり、之れ資本の充分ならざるに依るとは云へ、未だ廣く本邦水産業界に通ぜず、甚だしきに至つては隣境の情況をさへ詳にせず、唯我独尊の境に彷徨するに因せずんはあらず、宜しく奨励法を施し、奮発心を起さしめ、廣く各地水産業の情況を知らしめ、丁寧親切に誘導せば庶幾くは是等製造者又奮励斯業に従事し製造法の改良発達日を期して俟つを得るに至らん乎、聊か所感を記して高覧に供す

2022-07-01