史料 安藤朴翁「ひたち帯」

日立市郷土博物館の自主学習グループである古文書学習会が解読し、翻刻した安藤朴翁著「ひたち帯」を PDF版 で提供します。

丹波国の国学者安藤朴翁(定為。寛永4年⽣まれ、元禄15年没)が⽔⼾藩の彰考館に招かれた⼆⼈の⼦(安藤為実・安藤為章)と甥(安藤定輔)を訪ねて、元禄10年(1697)⽔⼾へ向かいます。そのときの紀⾏⽂が「ひたち帯」です。

安藤朴翁の「ひたち帯」は、現代語訳されて出版されています。猿渡⽟枝訳『ひたち帯 元禄常陸紀⾏』(1994年 筑波書林)です。

朴翁は3月6日に自宅(丹波国桑田郡小口村–京都府亀岡市千歳町)を出立します。京に立ち寄ってから東海道を下ります。途中伊勢神宮を参拝したり、寄り道しながら4月1日江戸到着。水戸藩主徳川綱條に拝謁し、4日に江戸を発ち、鹿島灘をすすみ、7日に大貫村(茨城県大洗町)で子の為章に迎えられ、水戸着。その後は水戸の城下を巡ったり、日光東照宮を参詣したり、6月12日には西山の隠居中の光圀に拝謁します。そして9月末、水戸領北部の「紅葉狩り」を楽しんで終わります。

「ひたち帯」は紀行文です。折々に歌を詠んでいる文学作品です。いやむしろ歌が主役であると思えます。同時に翻刻の底本となった写本でさえも単に書き写したというものではなく、その筆遣いさえも作品のように思えてなりません。同時期のものに松尾芭蕉の『奥の細道』があります。元禄2年の奥州・北陸の旅の俳諧紀行文で、芭蕉死後の元禄15年に刊行されますが、「ひたち帯」は刊行はされませんでした。しかし多くの写本が作られているようで、たとえば伊勢国の商人で国学者の小津久足も読んでいます。彼の「陸奥日記」(天保11年–1840)にも登場します こちら