日立友愛会事件

1919年(大正8)12月、茨城県多賀郡日立村で起こった労働運動の官憲による弾圧事件について紹介する。

友愛会は鈴木文治ら15人によって1912年(大正元)8月1日設立。当初は友誼・共済・研究団体として労働者の地位改善をはかることを目的としていた。4年後の1916年には53支部、約一万人の会員を数えるまでに成長。第一次世界大戦後の不況以後は、労働組合的性格を鮮明にした。

1919年7月友愛会は日立に支部を結成。その5ヶ月後の12月2日事件は起こった。

目次── 日立友愛会事件の経緯|史料 棚橋小虎逮捕及び告発調書|日立友愛会事件の概要|附記


日立友愛会事件の経緯

斎藤典生

  年  月 日主な動き出典
1916年
(大正5)
3月 友愛会員茨城県37人(東京府4,275、神奈川県2,353、兵庫県1,536、福島県1,060、大阪府650)50年史
1917年 友愛会は日立鉱山、日立製作所を対象に支部結成の潜行活動展開 日立
1918年 4月 城県内友愛会支部=大塚支部(多賀郡北中郷村)、日立支部(多賀郡日立村)、石岡支部(多賀郡南中郷村) 日本
1919年(大正8) 3月 日立製作所東京亀戸工場で賃上げ争議、→8/1臨時昇給発表で落着(日立工場へ飛び火、友愛会事件への導火線) 日立・松尾
4月27日 日立鉱山休職令 いはらき4/29
7月 日立に友愛会支部結成 日立
8月2日 日立鉱山、日立製作所、精錬所同盟罷業予定→会社は日給20銭ないし30銭値上げ、かつ同額の臨時手当支給→請負職工100名満足せず、浜の宮公園に集合協議→9日夜来形勢不穏→10日各所に宣言書 大阪8/11
8月10日 友愛会支部は臨時総会開く、白鳥幹事長、朴沢幹事等職工の無謀をいましめ極力調停を試みつつある 大阪8/13
8月11日 日立製作所89名解雇、6名の首魁を馘首 大阪8/13
8月22日 支部発会式。会員100名、鈴木文治、麻生久、棚橋小虎同席、同夜高鈴村助川座で演説会 日立
大雄院、本山両支部の発会式をかねて講演会 久原
9月4日 銅線工場製線部従業員33名賃上げ要求→要求書提出→3名の解雇 日立
10月26日 北沢新次郎(友愛会評議員、早稲田大学教授)、麻生久らによる労働問題講演会 日立
立連合会発会式兼大講演会。植田好太郎「労働問題」、麻生久「国際労働問題について」、北沢新次郎「日本労働運動の将来」 50年史
麻生は…日立大雄院における支部連合会の発会式兼大講演会に北沢新次郎と乗込んだが、数年前よりこの地に在った友愛会の組織が2千の会員を擁して今昇天の勢いで発展し、本山・大雄院・製作所の3支部が連合結集の陣を固めて久原王国に戦いを挑まんとしたのである。当夜の講演会は場の内外に4千の聴衆があふれたと記録されている 麻生
10月頃 3月の会員数約100名は約1000名に達した 鉱山
11月19・20日 日立大雄院・本山の3支部を糾合して友愛会日立連合会を結成。鈴木文治・棚橋小虎同席 日立
11月 6日、活動家26名解雇。27日、活動家30名解雇。同時に日立鉱山で本山23名、大雄院27名解雇。 日立
11月27日 56名を皮切りに引続き総計友愛会員115名〈鉱山58名—坑内夫26名、製錬夫21名、その他1名—日立工場57名〉の解雇 鉱山
11月27日 27日より29日にかけて百数十名…組合幹部を含む大量馘首を発表 麻生
12月1
〜2日
被解雇者報告会開催。鈴木・麻生・棚橋・片山哲同席 日立
12月2日 日立連合会主催解雇反対争議演説会、官憲と衝突。麻生久、棚橋小虎、山本懸蔵、白鳥利雄ら15名公務執行妨害で収監さる(日立事件)。会社側、日立連合会結成後、組織の破壊をくわだて、会長、棚橋の11月17日の訪問の際すでに四百数十名の消防夫動員、脅迫入山阻止。同月27日〜29日数百名を解雇。本会からの脱会強制 [1] 50年史
12月4日 憲兵引揚げ いはらき12/6
12月5日 応援警官の一部引揚げ いはらき12/6
12月6日 棚橋、麻生ら15名は公務執行妨害または騒擾罪で起訴 いはらき12/7
1920年(大正9) 1月29日 日立事件関係者全員出獄 50年史
2月20日 日立出獄者歓迎会、城南連合会・東京鉄工・京橋連合会主催(芝浦見晴亭) 50年史
2月 日立事件予審結審。棚橋・麻生ら有罪と決定 東京2/21
3月27日 友愛会本部常任理事会、八幡製鉄・日立鉱山事件の報告救援対策等協議 50年史
5月26日 水戸地裁公判開始 久原
7月7日 水戸地裁判決。麻生ら3名無罪、棚橋の禁錮3ヶ月はじめ12名に有罪[2]。被告・検事ともに控訴 久原・麻生
1921年 7月22日 東京控訴院判決。全員の刑確定[3] 麻生
出典
  1. 50年史:日本労働組合総同盟編『友愛会・総同盟50年史年表 1912〜1940年 上巻』(1962年 日本労働組合総同盟
  2. 日立:日立労働運動史編纂委員会編『日立労働運動史』(1964年 日立製作所日立工場労働組合)
  3. 日本:労働運動史料委員会編『日本労働運動史料 第3巻』(1967年 労働運動史料刊行委員会)
  4. 松尾:松尾尊兊『大正デモクラシーの研究』(1968年 青木書店)
  5. いはらき:『いはらき』新聞
  6. 大阪:『大阪朝日』新聞
  7. 久原:久原房之助翁伝記編纂会編『久原房之助』(1970年 日本鉱業株式会社)
  8. 麻生:麻生久伝刊行委員会編『麻生久伝』(1958年 麻生久伝刊行委員会)
  9. 鉱山:嘉屋実『日立鉱山史』(1952年 日本鉱業株式会社日立鉱業所)
  10. 東京:『東京朝日新聞』

  1. [1] 麻生久「日立鉱山入獄記」(『解放』大正9年7月1日所収 『麻生久伝』144〜145頁)
    消防夫等は幾組かに分かれて解雇者の長屋に侵入して、坑夫の家財を荷造して屋外に投出した。着ている蒲団は剥がれて、病人は叩き出された。如何なる嘆願もきき容れられなかった。産婦は生れた許りの赤子を抱かせられて山を追い下された。老母は坑夫の背に恨みの涙を呑み乍ら追われた。頑是ない子供等は此惨憺たる光景を見て泣き叫んだ。久原の私設巡査はサーベルをがちゃつかせながら消防夫を護衛してこの鬼畜に等しき行為を遂行せしめた。途方にくれた幾十組かの鉱夫の家族は、行くべきあてもなく、住みなれた長屋を後にして、ぞろぞろと山を追われて山を追い下されたのである。
  2. [2]日立事件判決理由(概要) (『麻生久伝』147頁)
    日立村大字宮田友愛会支部事務所ニ於テ、二日夜六時頃ヨリ演説会ヲ開始シ、被告利雄、弥三郎、正等相次デ演壇ニ立チタルガ、場外ニハ千余名ノ群衆アリ、屢々、喊声ヲ揚テ場内ニ乱入シ来ラントシテ形勢頗ル不穏ナリシヨリ、被告正ノ演説終ル頃、予テ同演説会場ニ臨監シ居タル警部補寺田三郎八、治安ニ妨害アルモノト認メ該演説会ノ解散ヲ命ジタリ。然ルニ右解散ヲ命ズルヤ被告小虎ハ直チニ右寺田警部補ニ迫リ右腕ヲ扼シ、何故ニ解散ヲ命ズルカ、横暴ナリト同人ヲ押シ行キ之ニ抵抗シ、朴沢、白鳥等ノ幹部ハ殺到シ来リ、遂ニ右警部補ヲ押倒シ解散命令ノ執行ヲ困難ナラシメタルヨリ、其傍ニ居タル刑事巡査鈴木国三郎ハ職務執行妨害ノ罪ノ現行犯ト認メ其の旨ヲ告ゲ引致セントスルヤ、被告文三、弥三郎、懸蔵等ハ、被告小虎ヲ取戻サントシテ鈴木刑事ノ身辺ニ取付キ、被告正、利雄、栄四郎ハ何レモ被告小虎ニ取付キ一旦取リ戻シタルモ、鈴木刑事ハ引続キ被告小虎ヲ捕ヘ、同所玄関ヨリ道路ニ引出サントスルヤ、再ビ前期被告等取リ戻シヲ策ス、而シナガラ遂ニ被告小虎ハ同刑事ノタメニ拘引セラレタリ。被告小虎ニ対スル本件公訴事実中、同被告ガ判示解散命令ノ執行ヲ妨害スルモノトシテ、鈴木巡査ニ暴行ヲ加へ且ツ同人ノ腕ニ爪創ヲ負シタリトノ点ニ付テハ、之ヲ認ムルニ足レ共、犯意並ニ其他暴行ヲ加ヘシ事ノ証拠充分ナラズ、
    被告久ガ、被告小虎ヲ引致セントシタル鈴木刑事ニ対シ、何故ニ棚橋ヲ拘引スルカ横暴ナリトテ同刑事ノ胸ヲ突キ、且ツ被告文三等ニ対シテ、棚橋ヲ取戻セト絶叫シ、同刑事ノ右職務ヲ妨害シタリトノ、本件公訴事実ハ之ヲ認ムルノ証拠充分ナラズ。……仍テ主文ノ如ク判決ス。
       大正九年七月七日   水戸地方裁判所刑事部裁判長判事岡崎善太外
  3. [3]日立鉱山事件入獄者判決 (『麻生久伝』146頁)
      公務執行妨害罪   無罪(求刑4ヶ月)麻生久、同(同6ヶ月)棚橋小虎
                禁錮2ヶ月(求刑4ヶ月)白鳥利雄、同(同)朴沢文三、
                      同(同)山本懸蔵、同(求刑3ヶ月)御田定蔵、同(同)藤沼栄四郎、
                        同(同)須藤千代太郎、同(同)桝田弥三郎、同(同)野村正、
                          同(同)足達健太郎、同(同)山内長作、同(同)高瀬政造
    騒擾罪	   無罪(未定)熊坂清一、同(同)佐藤善光

 

史料 棚橋小虎逮捕及び告発調書

(法政大学大原社会問題研究所所蔵)

   逮捕及告発調書

大正八年十二月二日午後七時卅分茨城縣警察部保安課勤務巡査部長刑事専務鈴木国三郎及助川警察分署在勤巡査刑事専務花ケ崎新藏ハ本職ノ面前ニ於テ左記ノ者ヲ職務執行妨害罪ノ現行犯トシテ

 本籍長野縣松本市徒士町番地不詳
 住所東京市麻布區森元町一 目廿七番地
   士族友愛会本部理事
       棚 橋 小 虎
        当三十一年
ヲ引致シテ左ノ逮捕及告發ノ申立ヲ為シタリ

本職等ハ本日午後六時十分ヨリ多賀郡日立村大字宮田字本町友愛会日立支部ニ於テ被告外数名ガ労働問題ニ関スル演説会ノ届出ニ付之ガ取締ノ命ヲ受ケ同所ニ出張、会場内外ノ取締ニ従事中ノ処、聴衆約二千名ハ会場ノ内外ニ群集シ、前夜同所ニオイテ被告等ガ演説会ヲ為シタル結果、主催者及聴衆ノ気勢大ニ揚リ、未ダ開会セザル前ヨリ主催者側ハ屋内ニオイテ桝田弥三郎ノ音頭ニテ労働歌ヲ高唱シタル為メ、群衆ハ之ニ倣ヒ内外相応シテ喧噪ヲ為シ、不穏ノ状況ナルヲ以テ、本職等ハ会場内ニ於テ之レガ取締ヲ為シ居ルト、午後六時三十分頃朴沢文三カ衆初会場狭隘ノ所ニテ聴衆者諸君ニ対シ甚ダ御気ノ毒ナル次第ト簡単ニ挨拶ヲ為シ、次ヲ白鳥利雄ハ開会ノ辞ヲ述ベ、次ニ藤沼栄四郎カ野村正ヲ紹介シ、数分間ノ演説ヲ為シタルニ、此時既ニ会場内外ハ非常ニ喧噪シ、鯨波ノ声ヲ揚ケ、頗ル不穏ノ状況ニナリシヲ以テ、本職等ハ之カ制止ヲ為シタルニ、益々喧噪ヲ増スノミ

群衆中ニ演説ニ賛成スルモノアリ、又ハ之レニ反対スルモノアツテ、屋外ノ聴衆ハ会場北側ノ板塀ヲ破壊シ、会場内ニ闖入セントスルモノアリ、為メニ臨テノ警部補寺田三郎ハ安寧秩序ヲ維持スル為メ、治安警察法第八条ニヨリ其ノ集会ノ解散ヲ命シタルニ、被告小虎ハ寺田警部補ニ対シ何故ニ解散ヲ命シタルカト寺田警部補ノ右腕ヲ押ヘ暴行ヲ加ヘタルヨリ、同所ニ居リ合セタル本職等ハ之レヲ制止シタルモ、更ニ肯セズ、友愛会幹部タル麻生久、朴沢文三、御田定造、白鳥利雄、山本惣蔵、桝田弥三郎、野村正、須藤千代太郎、藤沼栄四郎等ト共ニ加勢シ、寺田警部補ノ肩章ヲムシリ取リ、提灯ヲ破リ、帽子ヲ打落シ、臨監室ノ一隅ニ押倒シ、殴打シ、又ハ足蹴ヲ為シ、以テ職務執行ヲ妨害シタルヲ以テ現行犯ト認メ、被告小虎ヲ取押ヘ引致セントシタルニ前記ノ者共ハ本職等ニ暴行ヲ加ヘ遂ニ一旦取押ヘタル被告ヲ奪取セラレタルモ、尚ホ再ビ取押ヘ抵抗ヲ排シ会場内ニ引致シタル処、前記ノ者共ハ尚ホ之ヲ奪取セントシ、格闘ノ結果国道約二十間モ追跡シ来リタルモ本職等ハ同所ニ出張中ノ応援巡査ノ助力ヲ得テ辛フシテ引致シタルモノナリ

而シテ本職国三郎ハ引致セントシタル際強イテ引致スルナラバ極力抵抗スルト云ヒ、本職ノ左手ノ手首反肘関節内側ニ爪創六ケ所ヲ負ハシメラレ、又タ場外ニ於テ格闘ノ際前記ノ者共ノ一人ハ帽子ヲ打落シ、為メニ今尚ホ該品ノ発見無シ以上ノ如ク本職等ニ暴行ヲ加ヘタルハ麻生ガ棚橋ヲ取還セト懸声ヲ為シタルニヨリ彼等ハ一致シ職務ノ執行ヲ妨害シタルモノト認ム、且ツ麻生ハ衆初小虎ヲ引致セントシタル際何故ニ引致スルカト云ヒナガラ本職国三郎ノ胸ヲ握小節ニテ突キタルモ、創傷ヲ負フニ至ラズ、然モ本職等ニ応援シタル巡査部長鴨志田留次郎ハ前記ノ者共ニ左顱頂部ヲ殴打セラレ負傷セリ

以上ニシテ被告ノ所為ハ刑法第九十五条及同法第二百四条並ニ治安警察法第八条ニ違反シ、同法第二十三条第一項ニ該当スル犯罪ノ現行犯ト認メ、逮捕及告発次第ニアリマス、尚ホ棚橋小虎以外共犯者ニ就テハ目下逮捕手配中ナリ、且ツ本件事犯ニ付テハ前記ノ者以外ニ多数犯罪者有之見込ヲ以テ捜査中ニ付相当御取調相成度候

右録取シ読ミ聞セタルニ相違ナキ旨申立タルニ付キ左ニ署名捺印セシム

  大正八年十二月二日
     逮捕人巡査部長巡査鈴木国三郎
     逮捕人巡査    花崎新蔵
  於助川警察分署
   司法警察官警部沼田浩
  大正八年十二月三日
   助川警察署出張先
   保安課長
    茨城県警部野木延造
  検事原定男殿

日立友愛会事件の概要

斎藤典生「友愛会事件と温交会の成立」より
『鉱山と市民 聞き語り日立鉱山の歴史』第二編 第一章 第一節

1918年11月、日立製作所・日立鉱山は日立友愛会の支部長ら幹部を含む会員115人を解雇。これに翌12月1〜2日に本部から鈴木文治、麻生久、棚橋小虎、片山哲らが参加し、解雇反対演説会が開かれた。参加者は膨れあがり、会場の外にも八千人が集まっていた。演説会場にいた警察官は演説会の解散を命じた。これに棚橋らは反発し、警官との間に衝突が起こった。棚橋らは公務執行妨害の現行犯として逮捕される。検挙者は43人。うち15人が公務執行妨害罪または騒擾罪で起訴され、翌年水戸地裁で公判が行なわれる。被告・検察双方が控訴し、翌20年東京控訴院で判決がくだる。この事件の後、日立における友愛会は崩壊する。

附記

本記事中の斎藤典生「日立友愛会事件の経緯」は、鉱山の歴史を記録する市民の会(1982〜88年)の月一度の研究会で配布、発表されたもので、これを元に上記の斎藤典生「友愛会事件と温交会の成立」が著された。今回著者の了承をえて本サイトに掲載する。