茨城県内の炭礦閉山一覧 1956—73年

目次


石炭鉱業合理化臨時措置法(1955年9月施行)および石炭鉱山保安臨時措置法(1961年12月施行)にもとづいて1956年から73年に閉山した茨城県内の炭礦(炭鉱)の概要を紹介する。

東亜・山口・山部・長の沢・大津港・松野・北浦・須藤・上田・里見・俵・須藤山下坑・近藤・鈴木・上小津田・十王・雁の倉・柿之沢・丸冨・多賀・高萩・新多賀・大日本磯原・向洋・友部・関本・重内・茨城・神の山・第二望海・櫛形の31炭礦(炭鉱)である。


写真 左と中央:神の山炭鉱の石炭積込塲 右:俵炭鉱のズリ山  1977年撮影

資料について

閉山時期について
 末尾に説明をくわえた。

国の買収による閉山炭礦 1956〜62年

自然条件、立地条件、経営能力は出炭能率と送炭品位に現れるとして、炭礦を格付けし、非能率炭礦の買収と閉鎖をすすめた。

凡例

炭鉱名 東亜 山口 山部 長の沢
炭鉱所在地 多賀郡磯原町
上小津田
北茨城市磯原町
大塚494
多賀郡十王町
山部
北茨城市関本町
楊枝方
鉱業権者 石原勘右衛門 (株)山口炭鉱
代表山口浩
山口 彰 鈴木 実
年間生産数量 8,752 51,528 3,696 4,320
鉱区番号 139,140,141 茨20,156 茨160 茨214
鉱区面積 6,155 13,944 3,706 2,942
労務者 31 48 42 31
能率 10.7 12.1 10.3 12.0
申込年月日 1955.12.28 1957.9.16 1957.12.23 1958.2.15
採掘権調査年月日 1956.2.15 1957.11.27 1958.2.23 1958.6.14
契約年月日 1956.4.28 1957.12.26 1958.4.29 1958.8.27
炭鉱名 大津港 松野 北浦 須藤
炭鉱所在地 北茨城市関本町
富士ヶ丘
北茨城市華川町
上小津田
北茨城市関本町
富士ヶ丘
北茨城市磯原町
木皿316
鉱業権者 鈴木 実 松野敏夫 多賀炭鉱(株)
代表青山栄
須藤炭鉱(株)
代表須藤鑒
年間生産数量 7,632 8,784 44,412 41,184
鉱区番号 茨195 茨236 茨269 茨274
鉱区面積 2,001 9,749 4,157 15,369
労務者 82 12 216 249
能率 11.0 11.5 9.9 11.9
申込年月日 1958.3.3 1958.8.5 1959.4.28 1959.4.28
採掘権調査年月日 1958.8.8 1959.7.30 1959.6.18 1959.11.6
契約年月日 1958.10.10 1959.10.20 1959.8.7 1960.2.11
炭鉱名 上田 里見 須藤(山下坑)
炭鉱所在地 北茨城市中郷町
日棚1992
北茨城市華川町
小豆畑
北茨城市磯原町
木皿331
北茨城市華川町
小豆畑982
鉱業権者 (株)上田炭鉱
代表上田正二
須藤炭鉱(株)
代表須藤正
俵炭鉱(株)
代表鈴木俵
須藤炭鉱(株)
代表須藤正
年間生産数量 7,368 11,172 48,720 37,896
鉱区番号 茨311 茨292 茨246 福319 福318・321
鉱区面積 2,583 1,700 7,087 5,754
労務者 49 10 30 220
能率 18.4 13.5 18.4 17.0
申込年月日 1960.5.14 1959.10.5 1960.7.22 1960.8.5
採掘権調査年月日 1961.2.7 1961.2.6 1961.12.16 1962.3.27
契約年月日 1962.5.29 1962.5.29 1962.12.24 1962.9.29

整理促進交付金による閉山炭礦 1962〜73年

これまでの買収方式では鉱害等の債務処理に時間がかかるため、債務処理を閉山処理から分離し、閉山を促進するため1962年4月合理化法が改正され、交付金方式となった。また買収では租鉱権は整理の対象となっていなかったが、改正によって対象にふくまれることになった。

凡例

炭鉱名 十王 雁の倉 柿之沢 丸冨
炭鉱所在地 多賀郡十王町 北茨城市磯原町 北茨城市華川町 北茨城市磯原町
鉱業権者又は
租鉱権者名
十王炭鉱(株)
鈴木茂
重内鉱業(株)
戸部光衛
加藤初男 円 孝次郎
年間生産数量 58,319 51,442 5,161 1,601
鉱区又は粗鉱区数  1 1 1 1
面積 14,245 13,934 2,547 3,640
労務者数 398 170 39 9
能率 15.5 18.5 11.5 12.6
申請年月日 1962.6.25 1961.11.6 1963.3.19 1963.3.19
放棄消滅年月日 1963.1.24 1963.9.25 1963.12.19 1964.7.31
交付決定年月日 1963.1.29 1963.9.30 1963.12.25 1964.8.8
炭鉱名 多賀 高萩 新多賀 大日本磯原
炭鉱所在地 北茨城市中郷町 高萩市大字高萩 北茨城市中郷町 北茨城市華川町
鉱業権者又は
租鉱権者名
多賀炭礦(株)
青山栄
高萩炭礦(株)
菊池仁
常磐炭礦(株)
中村豊
大日本炭礦(株)
永綱一丸
年間生産数量 46,040 188,543 83,805 261,733
鉱区又は粗鉱区数  2 6 1 5
鉱区面積 13,506 84,826 43,781 71,819
労務者数 153 572 40 630
能率 20.9 27.1 27.1 26.5
申請年月日 1964.220 1967.3.1 1967.10.10 1967.10.23
放棄消滅年月日 1964.12.17 1967.8.14 1968.3.4 1968.3.6
交付決定年月日 1964.12.22 1967.8.15 1968.3.5 1968.3.8
炭鉱名 向洋 友部 関本 重内
炭鉱所在地 高萩市大字島名 多賀郡十王町 北茨城市関本町 北茨城市磯原町
鉱業権者又は
租鉱権者名
向洋炭鉱(株)
阿野顕三
高萩炭礦(株)
菊池仁
関本炭礦(株)
伊藤甚蔵
重内鉱業(株)
戸部光衛
年間生産数量 166,953 32,546 99,313 171,937
鉱区又は粗鉱区数 3 7 1 2
鉱区面積 116,069 17,754 15,660 40,904
労務者数 511 55 272 355
能率 23.7 30.4 32.0 38.7
申請年月日 1968.4.1 1968.10.1 1969.8.9 1969.10.9
放棄消滅年月日 1968.7.19 1969.3.12 1969.12.13 1970.2.12
交付決定年月日 1969.1.14 1969.3.13 1969.12.17 1970.2.12
炭鉱名 茨城 神の山 第二望海 櫛形
炭鉱所在地 北茨城市 北茨城市 高萩市 多賀郡十王町
鉱業権者又は
租鉱権者名
常磐炭礦(株)
中村豊
常磐炭礦(株)
中村豊
望海炭礦(株)
菊池仁
高萩炭礦(株)
菊池仁
年間生産数量 658,318 558,210 30,243 330,965
鉱区又は粗鉱区数 10 24 1 7
鉱区面積 265,497 398,669 10,027 86,715
労務者数 1,399 773 40 516
能率 47.9 49.8 57.0 53.5
申請年月日 1971.8.30 1971.11.15 1972.4.20 1972.12.18
放棄消滅年月日 1971.12.10 1972.3.10 1972.7.24 1973.3.12
交付決定年月日 1971.12.15 1972.4.1 1972.7.27 1973.3.28

整理交付金による閉山炭礦

1961年12月の石炭鉱山保安臨時措置法施行により、通産大臣が保安確保の困難な炭礦に対して鉱業の廃止を勧告。これにもとづき閉山したものに国が整理交付金を支払った。

凡例

炭鉱名 近藤 鈴木 小津田
炭鉱所在地 北茨城市華川町
上小津田
北茨城市華川町
上小津田
北茨城市華川町
上小津田
鉱業権者又は
租鉱権者名
近藤三千三 鈴木 清 杉本次平
年間生産数量 4,980 1,922 13,656
鉱区又は粗鉱区数 1 1 1
鉱区面積 1,653 2,016 1,842
労務者数 38 35 26
能率 10.9 4.6 43.8
勧告年月日 1962.6.29 1963.4.10 1963.5.10
消滅登録年月日 1962.12.28 1963.9.3 1963.10.21
交付決定年月日 1962.11.28 1963.8.23 1963.9.18

閉山時期について

上記の一覧には「閉山年月日」という項目はありません。閉山は一般的には「採掘終了」時期をさすと考えます。高萩炭礦(株)は『高萩炭礦50年史』(以下、50年史)において、高萩炭礦の閉山を坑口を閉鎖した1967年8月14日と記しており、上記の一覧では「(鉱業権)放棄消滅年月日」が該当します。同様に『50年史』は友部炭礦の閉山は69年3月、櫛形炭礦は73年3月31日と記していますが、それらに該当する年月日は上記一覧にはみあたりません。櫛形炭礦の場合、『50年史』には73年1月31日採掘終了、2月1日坑内撤収作業着手、3月に撤収作業終了、坑内閉鎖とあります。ところが内部資料「史料 櫛形炭鉱概況」では閉山を1月とし、当時の『いはらき』新聞も1月31日を閉山と報道しています。○年○月○日閉山、とひとことで言いたいところですが、そうたやすくいかないようです。