史料 大正七年二月 日立鉱山鉱夫待遇施設視察報告書(下)

史料目次

(八)鉱夫長屋

長屋に鉱夫頭長屋、小頭長屋及鉱夫長屋の三種あり、間取は略図左の如し
鉱夫頭長屋(二戸建)
小頭長屋(三戸建々坪二十二坪五合)
鉱夫長屋(六戸建々坪三十六坪)

右図に示す如く普通鉱夫長屋は間口二間奥行三間にして、畳は四枚丈を鉱山より給與し、其他は板敷にして中央に炉をきる、天井押入物置なく竃及ひ炊事場もなし、炊事は露天の共同洗ひ場にてなす、屋根は杉皮葺にして、共同便所は一棟に一箇所の割合なり、便所には武者窓を付し採光す

屋賃及ひ電燈料は無料とす、租税は戸数割の賦課あれども之は役場と協定し一棟一戸として賦課を受け之を鉱山にて負擔す、障子は何回にても社費にて張り替える

長屋の監督は庶務課にてなし、別に組長等をおかず、長屋借用を願出たるものに対しては一定の書式による居住願を提出せしむ、因に当山の社宅は外見上甚だ粗末なり、之れ努めて長屋と差異なからしめ、以て鉱夫の反感を避くるの政策に出でたるものなりと云ふ

(九)日用品の供給

鉱夫に対する日用品供給組織概略左の如し

イ 資本金

日用品の供給は調度課にて取扱ひ、外面上他の調度事務と区別する処なきも、会計は独立会計となりおり、資本金は鉱山より随時借入のこととし、之に対しては日歩二銭二厘の利子を支払ふ

ロ 物品仕入方法

一と月分宛仕入す、仕入先は大部分東京一流の商店にて、地方商店より仕入るるは一小部分に過ぎず

ハ 販賣値段及ひ市價との関係

原則として地方仕入物品は駅着原價の八歩掛け、東京より仕入れ物品は東京渡原價の一割掛けにて販賣す、但酒米醤油等枡減りのするものは地方仕入れ一割掛、東京仕入れ一割二歩掛け又呉服類の如き尺切のするものは地方仕入れ一割二歩掛け、東京仕入れ一割四歩掛けにて販賣す、今右販賣價格を市價と比較するに一割乃至二割安價なり、従て物品の轉賣又は物々交換防止に付相当の注意を払ふ必要あり、又商店は常に右販賣價格を標準として自店の賣價を定め偶々供給所に品切れの物品に対しては特に賣價を引き上ぐるを常とす、即ち供給所の賣價は地方商店の賣價を左右する力あり、諸物價の暴騰に鑑み薪炭味噌醤油は目下一定数量に限り原價以下にて販賣せり、されどこは一時的の現象なりとす、尚米も一定数量に限り原價以下にて販賣せるもこの損金は賃金と同一性質のものとして庶務課にて負担せり

ニ 供給手順

新来の鉱夫に対して直に物品供給を開始せず定住の見極めつきたる者に対してのみ払下ぐ、故に新来者は其間親方の仕送りを受け暴利を貪らるゝに甘んぜさる可らず、かゝる制度は之を損失防止の点より云へば安全第一の方法なれとも、新来鉱夫に対しては頗る不親切なりと云ふべく、鉱夫待遇施設としては再考すべきものと思ふ、定住見込立ちたる鉱夫に対しては供給品通帳を交附し、之に所属係にて支払賃金の見込額を記入し、此金額の範囲内にて自由に購買せしむ、見込額記入の方法に二種あり、甲は普通鉱夫に対するものにして一ヶ月三回其月見込稼高の八掛を分割記入し、乙は貯金あり信用ある特別鉱夫に対するものにして毎月一度に全月分を記入す、而して普通鉱夫にありては定日以外には物品供給を受くるを得されとも特別鉱夫には定日なく随時供給を受くるを得るの特典を付與す

鉱夫通帳を供給所に提出し、物品の交附を求むるときは記帳方は先づ見込額を超過することなきや否やを検査し、其範囲内にて通帳に品名、價格、金額累計、払渡月日、氏名を記入し、之を配品方に廻す、此際記帳方は複寫紙にて同時に二通の控をとりおく、配品方は記帳方より廻付されたる通帳により品物を鉱夫に渡し鉱夫は之を受け取りて退去す

記帳方の取りたる二通の控は之を会計方に廻す、会計方は単價其の他に誤謬なきや否やを検したる後、一通は他日の証として保存し、一通は先づ之によりて人名別に賣上高を記帳し、其後之を片々に引きさきて品名別に分類整理し、物品ごとの受払数量及價格を知りて物品受払帳に記入す、此際物品受払帳の払金額總計と人名別賣上帳の賣上高總計とは一致するを要す、月末に至り会計方は人名別賣上高を鉱山会計課に報告し、支払賃金中より之を引去る、役員に対しては一定の料金を徴して毎日御用聞きに廻らせ又品物の配達をなす

ホ 取扱品種目

取扱品の範囲は日用品全般に及ぶ、今之を大別すれば

穀類、食料品、海産物、乾物類、缶詰類、生肉類、菓子類、飲料品、煙草類、文房具類、呉服太物類、被服類、小間物類、陶器類、金物類、履物類、薪炭油類、郵便切手、雑誌類、雑品等にして品種実に四百六十種に及ぶ

尚取扱品以外の品と雖特に註文あれば取寄せて供給す、此種の特別扱に係るもの毎月八百圓を下らずと云ふ

へ 設備

供給所は總八ヶ所あり、余の視察したるは其内の一ヶ所にして、千二三百人の鉱夫、八十人の役員を取扱ふ、間口十間、奥行四間(奥行は今一間廣き方便利なりとのことなり)の長方形の平屋建にして、間口全体を物品渡場とし、其中央に長さ約一間の窓口付、金網を張りたる座席を設け、之を記帳方の席とす、渡場の後方には上段下段種々の位置に棚を設けて供給物品を陳列す、尚供給所と廊下續きに二階建倉庫ありて供給品を貯藏す

取扱者は見習生又は見習生補と称し、他日役員となる資格ある少年にして、夜学通学中の者なり、最初は供給方次に記帳方次に計算方の順序に任用す、其人員は記帳方二人、供給方七人(男子四人女子三人、女子は呉服小間物類を取扱ふ)、計算方四人、米渡夫一人、配達夫三人、小頭一人にして之を一人の役員總理す

数十の家族一時に殺到する場合、敏捷に正確に事務を処理するは二十歳以下の青少年尤も適当なる由なり、而して一人の取扱記帳高は尤も多忙なる時には十分間に二十八件強に達すと云ふ

ト 供給時間

供給時間は毎日六時より五時迄にして、休日は二十五日一日とし、此日に棚卸及ひ値段改正をなす(当鉱山には公休日なし)

チ 収支

毎月の賣上高拾参萬圓内外にして支払賃金高の約六割に当る、之を逆に云へば支払賃金の約六割は供給品代として回収する譯にて、其約一割壱萬参千圓中より運賃給料其他の諸掛を差引たるものが純益金となる譯なり

リ 雑

物品供給は営業としてなすものにあらさる故営業税を課せらるゝことなし

酒は一人一日一合以内を限り供給す

病気にて稼金なき場合における救済に付ては何等規定する処なし

ヌ 給米

米のみは特別扱とし、最高價格拾八銭を保障し、其以内にて払下げ、原價との差損は鉱山にて負担し、供給品勘定より区分す(現今の払下け價格は拾八銭なり)、供給規定左の如し

  日立鉱山精米供給規程

(十) 慰安設備

慰安設備としては二箇所の劇場を有するのみなれとも、其劇場たるや頗る堂々たるものにして、余の見たる大雄院の劇場の如きは之を東京の一流劇場に比するも遜色あるを見ず、昨年二月開場したるものなりと云ふ、余の視察当日は恰も活動寫真興行の初日なりしが、満員の盛況にて入場者約弐千人皆熱心静粛にて些かの混雑を見さりき

当山劇場経営につき最も面白く感ぜし点は、入場料を徴収し常に豫め収支を計算して興行する點なり、活動写真、浪花節等にて儲けて、一流俳優にて損をなし、全体より云へば決して損をせずと云ふ、入場料は十銭乃至五十銭、場内には酒を入れず、外題は成る丈け殺伐のものを避くる方針の由なり

(十一)浴場

数箇所に設け、雇人を置き、月手當五十圓を与えて経営せしむ、而して諸設備諸道具及薪炭は右五十圓以外に山より給與するものとし、山は之に対して一人に付き湯銭五厘を徴収す(町の湯屋は一銭五厘)、尚一浴場の定員を七百五十人と定め、夫れ以上の浴客ありし場合は一人に付二銭五厘の割増金を経営者に給与す、現時は薪炭高き故毎月欠損なりと云ふ

(十二)雑件

イ 学校

諸設備費は鉱山持ち、経常費は村持ちとす

ロ 青年会、在郷軍人会

在郷軍人会は鉱山にて独立の一分会を組織せり、但し別に政策的に利用する處なし、青年会はなし

ハ 夜学

尋常小学卒業以上の希望者を集め普通学を教授す、修業年限三ヶ年、授業時間毎夜二時間にして卒業者は見習生として採用し、漸次雇員及社員に取立つ

附録

  日立製作所徒弟規程[本規程は別項目を立てて紹介する]