地名にみる日立市の近代

日立市の平和通りと市民会館通りの交差点に「天王町」という行き先表示板がある。天王町は住居表示による町名ではない。矢印の先は弁天町か鹿島町である。「天王町」。資料でみた記憶がある。戦前に日立市で区制がしかれたときのものと思いあたった。以下調べましたので報告します。

1 助川町

茨城県多賀郡助川町の「区及び区長設置規程」が1936年(昭和11)3月12日に施行される。区はいわば拡大する町行政の下請機関である。区長と区長代理者は「名誉職」つまり無報酬とされた。

助川町が町制を布くのは、1925年(大正14)。それ以前は高鈴村といった。高鈴村は1889年の町村制によって助川村と会瀬村が合併して成立した村である。

以下に区名とその区域を示す。そしてわかる範囲で現町名を附記した(『最新日立市住宅明細図』1963年6月刊 日立市郷土博物館蔵写真版より)。

     
区名  区 域
第一區 腰ノ塚、山根、平澤、櫻内、金山
 現町名腰ノ塚:助川町1丁目
第二區 上宿町、中宿町、下宿町、大正壽町
 現町名 上宿町:鹿島町2丁目、助川町2丁目、神峰町1丁目
中宿町:鹿島町1・2丁目、助川町1・2丁目
下宿町:助川町1丁目、鹿島町1丁目
第三區 追川町、永井町、篠張、高野、中小路町
 現町名追川町:神峰町1丁目、若葉町1丁目
高野:弁天町1丁目、平和町2丁目、若葉町1・2丁目
第四區 緑町、泉町、天王町、壽町
第五區 堀米、藤原町、上原、下原、セメント町
 現町名堀米:幸町1丁目、若葉町1丁目、平和町1丁目、弁天町1丁目
第六區 皆川、榮町、幸町、飯成町、土佐
 現町名土佐:幸町2丁目
第七區 鹿島町、宮内町、平塚、仲助川、檜澤
 現町名平塚:弁天町1・2丁目
檜澤:弁天町2丁目
第八區 田手沼一圓
第九區 旭町、東町、走リ折、初崎
 現町名東町:幸町2丁目、弁天町1丁目、鹿島町1丁目
第十區 會瀬一圓

2 日立町

1939年(昭和14)4月1日、茨城県多賀郡日立町に町村制に基づく区がおかれた。助川町より3年遅れ、助川町との合併が決まっていた時期の実施である。

1889年の町村制以前、日立村(町への昇格は1924年)は宮田村と滑川村にわかれていた。

以下にその区域をかかげる(□は判読できなかった文字)。

区名  区 域
本 山 本山一円
新 町 新町一区・二区・三区・四区・五区、旧町ヲ含ム
槶 平 加性、槶平、旧町ヲ含ム(加性地蔵橋ヨリ下)
仲町西 仲町二区・二三区(槶平トノ境ヲ送電線トス)
仲 町 仲町一区 表通一区
栄 町 栄町一区・二区・三区、久保田通リ
 現町名栄町:宮田町3・4丁目
宮 本 宮本町一区・二区・三区(荒屋ノ一部ヲ含ム)
神 田 神田町、朝日町(宮本町三区ノ一部ヲ含ム)
 現町名神田町:神峰町3・4丁目、若葉町3丁目
戸ノ内 戸ノ内町、大和町、雷神町、線路境下町大森、荒屋ノ一部ヲ含ム
 現町名戸ノ内:若葉町3丁目
大 森 大森町一区・二区 渡リ内、伊賀町
 現町名大森:若葉町3丁目
田 畑 田畑町、幸町、宮内町一区・二区、朝日町、神田町ノ一部ヲ含ム
本 町 本町一区・二区・三区、宮本町一区及神田町ノ一部ヲ含ム
 現町名本町:神峰町2・3・4丁目、宮田町2・3丁目、鹿島町1丁目
桐木田 桐木田 □内町、熊ノ町
高松台 橋場町、高松台町、高松町、□□町、愛宕町
 現町名高松台:神峰町1・2丁目、若葉町2丁目
芝 内 旧芝内、芝内一・二・三丁め、日ノ出町
 現町名日ノ出町:宮田町1丁目
北 町 下大平、中大平、西倉、新田、烏澤
大 下 下町一区・二区、荒屋
滑川岡 宿、上、台、山下町
滑川浜 浜一円、清水、小幡

3 新地名

区は組織名称でありながら、一定の空間的範囲をもつものであるから、地名といってもよいだろう。この区名称および町名で、従来からの「字」にないものを以下にとりだしてみる。

まず助川町。

大正寿町 永井町 緑町 泉町 天王町 寿町 藤原町 セメント町 栄町 幸町 飯成町 鹿島町 宮内町 旭町 東町

由来がわかるのは、少ない。

永井町は助川に根拠地をかまえた土木建築業を柱に多角的に事業を営む永井組(経営者永井久之助)が住宅や集会所を建設した一画である。

セメント町とはおそらく常陸セメント(日立セメント)が所在する一画であろう。鹿島町はおそらく鹿島神社を中心とした区域である。そのほかはわからない。

栄町は日立町と助川町の両方にある新しい町名である。栄える町とは安直な、と非難するなかれ。商売を成功させたい人々の切なる願いがこめられている。この栄町に共通していることがある。それは歓楽街であるということである。

これらの地名で現代の住居表示制度にもとづく町名として残っているものは幸町・鹿島町・旭町の三つである。

次に日立町。

本山 新町 仲町 表通 栄町 宮本町 朝日町 戸ノ内町 大和町 雷神町 伊賀町 幸町 本町 熊ノ町 愛宕町 日ノ出町 北町 西倉 新田 大下 山下町

本山はモトヤマといい、日立鉱山の採鉱所のある区域。金属鉱山特有の名称で、他の鉱山ではホンザンと音読みで呼ばれることが多い。元山(ゲンザンではなく、モトヤマであろう)と書かれることもある。本山は字(伝統地名)でいえば、赤沢あかざわである。

宮田の伝統的な町場集落は、岩城海道にそった宿並である。明治末、この宿並の西方4キロメートルほどのところにあった曹洞宗の大雄院を日立鉱山が移転させ、その跡地に精錬所をつくった。この精錬所の従業員とその家族を対象とした町場がつくられる。それが新町である。新町と宿並(本町)との間の町場が仲町となる。

そのほか、栄町・朝日町・大和町・雷神町・幸町・日ノ出町。めでたい地名がならぶ。

これらの地名で現代の住居表示制度にもとづく町名として残っているものはない。

4 町がつく地名は新しい

従来からの地名でないものは、日立・助川両町の都市化にともなう新たな地名である、と考えられる。この新地名は区制施行時に付されたものではなく、明治末以降都市化の進行にともなって新住民によって名付けられたものであろう。それらに共通するのは「町」がつくのである。

そして一つの区の中に、新旧が入りまじる。伝統社会の中に新住民が、新住民の中に従来からの住民が混在する。

新しくこの地域に職場あるいは商売を求めて移り住んできたさまざまな背景をもつ人々は、地域社会をうまくつくれなかった。また新旧住民の慣習の差異はさまざまな衝突と軋轢を生んだことだろう。それをコントロールするのに必要だったのが「区」なのである。

なお日立鉱山の本山区は広く社宅街が山あいに分散しているにもかかわらず一つである。区制など不要な地域であるといわんばかりである。日立鉱山従業員であるという点で均質であるし、企業(日立鉱山)がまとめるというのであろう。

また日立製作所の社宅は区制の中でどのように位置づけられたのか。昭和の戦時下、生活物資の配給制度の中で生まれる柵内・柵外という用語があるが、これとの関連を含めていずれ機会をみて調べておきます。

5 引き裂かれる助川と日立の町

日立村は町村制以前は、宮田村と滑川村に別れていた。この時期おいて滑川は二つにしか区がおかれていない。滑川は依然として農村部で、伝統的社会関係が生きており、市街地化がおよんでいないことを意味している。

助川町は町村制以前は、助川村と会瀬村からなるが、漁村である会瀬は第十区としてひとまとめである。会瀬を分ける理由がないというのである。町場として都市的要素をもっているにしても伝統的な人間関係が支配している社会で区制は必要ないのである。

区制それ自体が近代の都市化の所産なのであるが、日立市域の近代鉱工業は、日立町と助川町から始まり、それらの二つの町においても半分は鉱工業とは無縁の伝統的産業が息づく社会であったことが、この区制の区割りからうかがえる。この伝統的なまとまりをもっていた地域を引裂くように鉱工業資本が立地し、伝統社会をスプロール化するようにして都市化が進んだ、ということが区制実施と新地名からうかがえるのである。