大甕(おおみか)の由来

JR常磐線の駅名ともなっており、難読地名として知られる日立市「大甕」は、神と人の住む境界として「大甕」が埋められていたか、あるいは「大甕」をおいて祭祀が行われた地であったと考えられます。これについて、以下説明しましょう。

大甕と大みか町の位置

天保13年の「久慈郡久慈村田畑反別絵図」によれば、「大甕」は久慈村の字名の一つで、日立市大みか町6丁目で、JR常磐線大甕駅の西側一帯。現在の大甕神社下からJR常磐線大甕駅との間の区域です。大甕駅からとったと思われる現在の茨城県日立市大みか町は、大甕駅を中心にしたかなり広い範囲におよんでいます。1963年(昭和38)以降に実施された住居表示制度により新たにもうけられた地名で、「甕」が常用漢字にないので、「大みか」と漢字仮名まじり書きしたのでしょう。

読み

発音は「オーミカ」ですが、ふりがなやルビなど文字にするときは「おおみか」と表記します。

甕の読みと字義

甕の音読みは「オウ・ウ、ヨウ・ユ」で、訓では「かめ」のほかに「みか・もたい」と読みます。ですから、「おおがめ」ではなく「おおみか」と読むのは、珍しいことですが、ルール違反ではありません。「みか」と読むときは、水を入れる容器という意味のほかに、酒を入れたり、酒を醸造するときに使われる器という意味がつけくわわります。

以下、志田諄一「大甕という地名について」(『日立史苑』第4号)によって、大甕の由来についてまとめてみます。

「甕」の使用例

(1)祈念祭の祝詞に「大甕に初穂を高く盛り上げ、酒を大甕に満たして神前に差し上げて、たたえごとを言った」とあります。

(2)「播磨国風土記」に丹波と播磨の国境に大甕を埋めて境としたとあります。

これらの例から、大甕(おおみか)は、酒を入れた器で、神事に使われ、また何らかの境界に埋められることもあったことが知られます。

大甕と神社

「常陸国風土記」や「播磨国風土記」には、山の峰に住む神と里に住む人との境界(山口・山本)に社(やしろ)が建てられた話がみられます。

大甕の地も、風の神山・真弓山へとつづく多賀山地の南端のふもとにあたります。まさに山口にあたるこの地に大甕神社があります。

なお、現在の南相馬市原町区に大甕があります。この大甕に延喜式内社に比定される日祭神社があります。この神社の由来は、日本武尊東征の際、平定を祈願してこの地に天照大御神を勧請したといい、大甕という地名は、祈願の際に祭壇にささげられた酒をもった器にちなんだといわれています。

大甕の由来

以上のことから、大甕は、神と人の住む境界として「大甕」が埋められていたか、あるいは「大甕」をおいて祭祀が行われた地であったと考えられます。

従来の説

いずれも大甕神社(ふるくは、大甕倭文神宮)の由来を説明し、神社名あるいは神名から、地名「大甕」の由来が説明されてきました。どうやらいずれも根拠はなさそうです。

(1)甕星神説(大甕倭文神宮社記)
「常陸風土記に曰く、大甕は甕星神の居所の土地なり。故に大甕と称す」
→ 現伝本の「常陸国風土記」には、大甕や甕星神の記載がなく、根拠がない。
(2)天津甕星説(大甕倭文神宮社記)
「当社縁起に曰く、建葉槌命は天神の勅をこうむり、天津甕星を誅して倭文郷に鎮座す」。ゆえに大甕倭文神宮といった。
→ 倭文郷は、現在の茨城県那珂市静の地をさす。天津甕星は「日本書紀」にみえる神であるが、大甕とはなんら関係がない。
(3)甕星香々背男(みかぼしかがせお)説(宮田実『大甕より久慈浜あたり』)
「大甕の地は先住民族として古典に載ることころの甕星香々背男と称する強賊の占拠していたところであったために伝えて此処を大甕と称すると云われている」
→ 甕星香々背男と大甕を結びつけるものはなにもない。

常磐線の駅名

大甕駅は常磐線が水戸・平間が開通したとき(1897年-明治30)からこの名称です。通常なら、開通時の町村名(久慈)、あるいは大字名(久慈)が付されるところですが、理由はわかりませんが、大甕という久慈町の小字名がつけられています。

実は、常磐線は当初久慈町の中心部ちかくをとおす計画だったそうですが、漁民から反対をうけ、みなとから離れ、となり村の坂本村水木にちかい土地が選ばれたということです。