十王川の鵜飼いのことなど
十王川の鵜飼いのことですか。あれは生業としてやったものではないね。殺生ずきが、道楽でやったものですね。川尻では、海鵜のことをウガラス、海鵜の捕獲場をウトリバ、鵜飼いのことは、鵜つかいとか、ウガラスつかいとかいったものです。ウガラスつかいの格好は、素足に、膝下までの半股引をはき、はんてんを着て、腰にはコシコという魚を入れる篭をさげました。鵜をつかうときは、川のへり(縁。岸辺)のほうを歩くんです。魚はヘリのほうに多いからね。魚の種類はアユ、フナ、ドジョウ、マルタなど、20センチぐらいのアユもいましたよ。鵜飼いにつかうウガラスは、羽を自由に動かせるように、タスキという紐を背中でしばり、テナワのはしを左の手首に結えておく。テナワの長さは1間から9尺ぐらいです。
つかう鵜の数は1羽だけです。これに魚をとらせるときは、水をかけてやるのです。水をかけられると、ウガラスは水のなかへもぐる。魚をつかまえたら、この頭を腰のコシコのなかへ突っ込んで、魚をはきださせるんです。
ウガラスつかいの場所は、梁津橋から2町(約218m)ばかり上流のあたりですね。ずっと上流までゃったんじゃないでしょうか。時期は田植のころから魚がくだる旧暦の9月、新暦では10月のころまでですね。櫛形炭砿の開発で、水がよごれ、魚がいなくなって、やめてしまいました。十王川のことを、川尻では、梁津川というんだが、これは、昔は水量も豊富で魚も多く、これを捕えるヤナがあったためではないのかな。サケもあがったものです。
また春になると河口には、カサキという小さなきれいな魚が、海から海岸と梁津橋の中間あたりまで寄せてきたものです。からだが真白で、目だけがポチッと黒い魚でした。目の細かな網ですくい、生きたままを生醤油で煮つけて食べると、おいしいものでしたよ。
日立市郷土博物館『市民と博物館』第2号(1978年)