日立製作所の創業年

2010年は日立製作所創業100年にあたっていた。したがって創業は1910年、明治43年となるのだが、日立製作所の創業年を調べていくと少々混乱する。ここであらためて整理しておこう。

はじめに『日立製作所史 I 』に写真で紹介されている「日立製作所設置并其ノ職制ニ定ノ件伺」を紹介しよう。下の写真である。

これは日立製作所設置と職制に関して「支配人」が「総長」に、久原鉱業総長名で明治45年—1912年1月1日から日立製作所を置くこととする達について伺ったものである。時期は明治44年—1911年12月28日のことである。

電気機その他の諸機械製作に関する業務を経営させるため、多賀郡日立村に日立製作所をおく、というものである。これは日立製作所が日立鉱山工作課から分かれて、かつ日立鉱山事務所からも組織的に分離したことを意味する。

日立製作所という名称は、ここに初めて現れる(私たちが見ることができる最初のものという意味)。創業から2年がたっている。つまり日立製作所は、この1912年明治45年を創業としているのではないのである。

何をもって創業を1910年としているのか。この年に何があったのか。

ひとつは日立製作所初の製品である5馬力モーター3台を製作したのが1910年の3月。モーターをつくった日立鉱山工作課の建屋を「創業小屋」としてとらえ、その跡地には「創業小屋の跡碑」を建立(1956年)している。

第2にこの年(1910年)の11月には、日立村の大字宮田字芝内に専用の工場を完成させた。現在の日立製作所日立事業所山手製造部(かつての山手工場)である。この工場の一角にある熊野神社境内には、「小平浪平氏明治四十三年の秋茨城県日立村の此地に日立製作所を創業す」と刻まれた「創業石」(1940年建立)がある。

以上、日立製作所は、1910年にあったこの二つの事実をもって創業としてとらえている、と考えられるのである。したがって創業年だけは言うが、月日を特定する意味はない、ということなのであろう。

そして久原から命じられた日立鉱山の急速な発展の基礎となる電力の供給(発電所建設)を担いながら、そして外国製品の乱暴な操作で多発する故障品の修理に追われながら、自主技術でモーターを開発し、電気機械工業への進出に社主久原房之助の強固な反対意見を押しきって工場建設に踏み切った。悪条件のもとでスタートしながらも、大きく成長したことへの自負が、この1910年創業へのこだわりとなっているのであろう。