史料 日露戦争従軍兵士の手紙 1

日露戦争

20世紀初頭、満州や韓国での権益をめぐって対立した日本とロシアは、日露戦争を開始しました。これは新兵器の使用、要塞をめぐる攻防など、近代戦争の幕開けでした。戦いが長期化し、両軍とも疲弊していた1905年(明治38)9月、アメリカの仲介によってポーツマスで講和条約を結びます。ここで賠償金が得られなかった日本は、国内では強い不満の声も上がりましたが、大国ロシアに満韓権益を認めさせ、欧米列強に伍するという目的を達成したこともあり、国民にも大国意識が芽生えました。

軍事郵便

戦争中に戦地にある軍人・軍属がだした郵便、また軍人などにあてた郵便の総称。1894年(明治27)日清戦争の始まる直前に軍事郵便取扱細則が定められ、それにしたがい軍人が出す郵便物は無料で、逆に軍人あてに出すものに対しては正規の郵便料金が徴収されました。

日高村田尻・関家の軍事郵便


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日露戦争に従軍した多賀郡日高村田尻の関秋之介が戦地から故郷の父親直次郎宛にはがきや手紙を送ってきました。8通が残されています。関秋之介は佐倉歩兵第2聯隊第11中隊へ入営します。その後旅順攻撃のため編成された第3軍(司令官乃木希典)第1師団第2聯隊第12中隊に属しました。そして、秋之介は3月1日から始まる奉天会戦に加わり、10日日本軍は奉天を占領しますが、秋之介はその前日9日に戦死します。この間の関秋之介の手紙が日立市郷土博物館に展示されています。

日立村宮田・鈴木家の軍事郵便

鈴木家に残る8通の軍事郵便は、多賀郡日立村大字宮田の鈴木勝吉宛に届いたもので、うち5通は息子の鈴木松之助から送られています。松之助は第3軍騎兵第16連隊第3中隊に所属していました。手紙の内容としては現況報告が中心ですが、中にはおそらく弟と思われる手紙への感謝と励ましの言葉や、体調をくずしたものの内地よりも恵まれた養生ができたことなども記されています。

もう一つの「日露戦争従軍兵士の手紙」(資料紹介)