日立鉱山本山あれこれ 名物桜饅頭と御大典記念事業

加藤 正一

昭和3年春、御大典記念事業として、社員の勤労奉仕で、山内道路の拡幅整備(大雄院と本山間の道路拡幅は、それ以前にやはり勤労奉仕で行っている)山神社、社宅道路に桜の植樹を行った。事業最大の目玉は、公園造成であった。今はその面影もまったく消え去ったが、不動滝と石灰山をむすぶ本山寺の裏手のなだらかな山頂に遊園地的公園を造り、桜を主に種々の苗木を植え、憩いの場を造った。事業記録は吉野、嵐山にも遜色ない景観、と激賞の筆を残している。

天下の名所に名物をと、関係者協議の上、桜花の芳香を含めた桜饅頭を考案して、本山商業組合員の芝山商店から6個10銭で発売した、と記述している。

昭和56年頃、石灰山社宅に人々が公園と呼んで、桜の季節に人出で賑わったことをかすかに覚えている。

本部通りの夜桜見物が盛んになったのは、その後のことでしょう。

記念事業の道路工事は、掛橋から大角矢に通ずる道が主であったが、この方はことのほか難工事で、作業員は延べ8276名、時には発破を使った、と記されている。何分にも一日の所定労働を終えてからのこと、疲れた身体に鞭打っての作業、その労苦の大きさが偲ばれ、感謝の念が胸を埋める。

事業記録には完成後の慰労行事についても、細かく記述している。

御大典記念事業完成慰労大活動写真会と銘打って、日活特超大映画水戸黄門全20巻を本山劇場で上映と計画したが、混雑、混乱をおそれて急遽、本山小学校校庭に会場を変更した。

当日は予測した通り、校庭を埋め尽くした観衆は4000人を下らず、さらに翌二日目は午後2時頃より観衆が続々と詰めかけて、開演の6時30分ごろにはその数、前日をはるかに上回る盛況であった、と記されている。

昭和58年夏