櫛形炭鉱 略年表

高萩炭礦50年のあゆみ編集委員会編『高萩炭礦50年のあゆみ』(1990年刊)より

1940年
(昭和15)
5月 高萩炭礦(株)設立
高萩炭礦、大日本炭礦(株)から秋山・北方・手綱坑(高萩市)、磐城炭礦(株)から千代田・関口坑(高萩市)を買収
6月 高萩炭礦、秋山・北方・手綱・千代田坑の採掘に着手
1944年 12月 高萩炭礦、関口坑を開坑、採掘に着手
1945年 5月 高萩炭礦、東邦炭礦(株)から櫛形鉱区の譲渡をうけ、採掘権を登録。櫛形礦(櫛形炭鉱)と称する
1946年 高萩炭礦、生産管理闘争(1949年まで)
1950年 櫛形礦会館オープン
1951年 1月 中郷礦で常磐炭田初のカッペ採炭を開始
3月 高萩炭礦、秋山坑を閉鎖
8月 高萩炭礦、北方坑を閉鎖
9月 神ノ山炭礦、常磐炭田初のベルトコンベヤー運搬方式を採用
12月 高萩礦、鉄柱カッペ採炭方式を採用
1952年 8月 高萩炭礦、千代田坑を閉鎖
1955年 6月 櫛形礦、新設選炭工場操業に入る
◎8月 石炭鉱業合理化臨時措置法制定
1957年 7月 櫛形礦、第2斜坑の開鑿に着手
1959年 ◎スクラップアンドビルド政策
1960年 11月 櫛形礦、合理化のため新斜坑の開鑿に着手
◎三池炭鉱争議
1961年 6月 櫛形礦、選炭工場設備増強工事に着手
9月 櫛形礦、新設120トンバウム水洗機の運転を開始
11月 櫛形礦、鉄柱カッペ採炭方式を導入
1962年 4月 櫛形礦、従業員社宅第1号アパート(3階建て)の建設に着手
1963年 3月 櫛形礦、新斜坑(本、連卸各1300メートル)、連絡運搬水平坑(SL-340メートル)に貫通
7月 十王炭礦閉山
11月 櫛形礦新斜坑の完成にともない連卸300馬力主扇を新設、運転
1964年 9月 櫛形礦、新斜坑で人車運転開始
1965年 12月 櫛形礦2斜坑連卸掘進中大出水(2立米/分)。初の出水事故
1966年 4月 櫛形礦、2斜坑左5片に自然発火、払い切羽を放棄
6月 櫛形礦、1斜坑区域を終掘、閉鎖。南斜坑へ切羽を移行。合理化計画の一環
この年、櫛形礦、主運搬系統を新斜坑に集約化
1967年 2月 高萩炭礦、高萩礦閉山を発表。5月高萩礦、採掘終了、8月14日閉山
6月 高萩礦の従業員を櫛形礦に集約
8月 櫛形礦、新斜坑の坑底で350キロワットの自動ポンプ座の運転開始。排水系統の合理化
10月 櫛形礦、南斜坑左2.5片に自然発火発生。切羽を撤収
12月 櫛形礦、月出炭2万973トン、能率34.3トン/人・月 新記録達成 合理化の成果
1968年 1月 櫛形礦、友部礦と櫛形礦に2分割。旧本坑を揚炭坑口とする上部区域を友部、新斜坑を揚炭坑口とする下部区域を櫛形
3月 向洋炭礦(高萩市)、閉山を発表
4月 櫛形礦、生産増強に備えコンプレッサーを720馬力から1100馬力に増強
1969年 3月 友部礦閉山。櫛形礦、2斜坑区域に操業を集約
8月 関本炭礦(北茨城市)閉山
10月 重内炭礦(北茨城市)閉山
1970年 8月 櫛形礦、採掘跡から出水。2斜坑の深部開発を断念、3斜坑区域に切羽の転換を計画
9月 櫛形礦、2斜坑に冷凍機設置、切羽の冷房を開始
1971年 2月 櫛形礦、3斜坑への切羽転換
4月 櫛形礦、3斜坑4片払いに120馬力ヘリカルドラムカッターを導入
8月 常磐炭礦(株)中郷礦(北茨城市)、閉山
9月 高萩炭礦本社役員会において1972年度末に櫛形礦の閉山の方針決定
11月 櫛形礦出炭記録、4万1146トン(能率75.2トン/人)
11月 常磐炭礦(株)神ノ山礦(北茨城市)、閉山
1972年 8月 櫛形礦、労使協議会において閉山の方針を発表
10月 櫛形礦、出炭記録4万1962トン(能率81.8トン/人)、5年前の1967年の約2倍。
1973年 1月 櫛形礦、採掘を終了
3月 櫛形礦、坑内閉鎖。31日閉山

炭鉱と炭礦:正確には炭礦なのですが、礦が常用漢字ではないので、鉱が一般に使用されてきました。