日立市の四つの建築

島崎 和夫

日立製作所日立事業所の中にある高床式の小平記念館(1956年)の設計者は、東京帝国大学で総長を務めた内田祥三である。内田は弟子の岸田日出刀ともに東京帝国大学の安田講堂(1925年)の設計をしていることで知られる建築家である。

内田は、1936年着工の日立製作所の会瀬社宅(役員住宅)の配置と設計にあたり、同時にグラントとか周辺地域の開発計画を立案した(『社宅街』)。

写真でしか見たことがないが、同じ年に開設された大甕ゴルフ場の大甕倶楽部の設計は岸田日出刀である(『社宅街』)。また1938年に着工された日立製作所多賀工場のレイアウトに、岸田は監修者の立場でかかわっている(『多賀工場のあゆみ』)。ちなみに岸田の弟子には丹下健三や前川國男、詩人でもある立原道造らがいる。

大甕倶楽部の隣には、ゴルフ場の一角を切り取るようにして戦後茨城キリスト教学園が設立された。その礼拝堂であるサンタ・キアラ館(1974年)は、渋谷区立松濤美術館の設計などで知られる白井晟一の作品で、ツルピカのモダンな校舎の中でひときわ異彩を放っている。内部も見どころがある。

妹島和世の作品である三代目日立駅舎(2011年)は、彼女にとって市内では三つめの作品。第一作のパチンコパーラーI(1993年)は、日立銀座通りにあり、東京から見学者がやってくるほどである。空が群青色に染まる夕方に眺めるのがいい。二作目は駅前再開発地にある金馬車本社屋である。妹島の作品を日立市に二つも残した金馬車の高浜正明さんにおどろくばかりである。

妹島は内田が設計した会瀬社宅で育った。少女時代の社宅での生活と建築の道に進んだことはつながると語っている(『妹島和世読本—1998』)。妹島は「建築から重さを抜くだけでなく視覚的な存在感すら消すという世にもまれな方向に進んでいった」(『藤森照信の原・現代住宅再見3』)と評されるとおりに日立駅舎は仕上がっている。


著名建築家による設計だとしてそれがなんなのだ、と言われると困るのだが、美しい建物をつくるのが建築家なのである。建物を眺めていて心地よいとすれば、それは美しいからである。市街地をひとつひとつ構成しているのは建物である。それらの建物が美しければ市街地も心地よく感じられるはず。しかし日立において近現代の美しい建物は点でしか存在していないのが残念である。


原色の幟旗が道路沿いにたちならび風にはためいている。看板も大きければいいとばかりに競っている。原色の大きな看板が次々と市街地の景観を覆っている。醜い。市街地の景観に目を背けるようにして歩くほかない。隣より目立とうとエスカレートするばかり、イタチごっこだ。日立市に限ったことではない。全国であたりまえになっている風景である。醜い町を訪れるとすれば、仕事以外にはない。やむを得ずやって来るのである。そんななかにあって整備が進行中の日立駅舎を囲む景観がどうなっていくのか、期待と不安が入りまじる。

内田、岸田、白井の建築は、閉ざされた空間にある。市街地の景観と交わることはない。しかし妹島の建築は市街地のなかにある。見るのに許可はいらないし、守衛の視線も気にならない。妹島の日立駅舎そしてパチンコパーラーなどの作品によって建築と景観、そして町づくりについて日立市民の関心が広まっていくことを願うものである。


[追記]妹島の日立駅舎が2012年のグッドデザイン賞に選ばれた。正式には「日立駅周辺地区整備事業」が受賞対象名で、受賞企業は日立市、受賞分野は「公共領域のための空間・建築・施設」である。審査委員の評価は次のとおり。

しがらみが多く、なかなかデザイン性を維持することが難しい駅舎において、単純明快で気持ちの良い建築を実現させている。多くの関係者間の調整を図りながら、ここまでシンプルに海と町を眺められる駅舎を実現させたことは特筆に価する。ホームからコンコースに上がった時に眼前に広がる海の景色は、駅を利用する人々の日常の中でかけがえのないものとなるであろう。突き当りの展望空間は恐らく人気のデートスポットになっていることが予想される。建築が完成したら終わりというのではなく、完成後に建築の良さが永く存続していけるためのガイドラインを策定している点も高く評価したい。