日立市の銀座通り

萩原 明子

助川新道
zoom 日立町と助川町が合併したときの助川新道(今の銀座通り) 1939年9月

銀座通り商店街
拡大 1945年の戦災で焼けた跡につくられた銀座通り商店街。遠くに助川の山並が見える 1950年頃


拡大 ネオンアーチが見える。正面つきあたりは移転前の日立郵便局。現在は、市の保健センターがある。左手は四国屋家具店。パチンコ店金馬車あたりでの撮影 1966年


「ひたち銀座もーる」完成の日。撮影場所は6号国道から少し入ったところ 1983年12月 山口喜一郎さん提供画像

助川新道

日立市の銀座通りは、むかし「助川新道」あるいは単に「新道」とよばれていました。常磐線(日本鉄道海岸線)の水戸・平間が1897(明治30)年2月25日に開通し、高鈴村助川に助川停車場(現在の日立駅)が設けられました。助川停車場は初めのころは線路の西側(山側)に駅舎があり、そこからは助川新道とよばれる道が国道までとおっていました。「新道」とは鉄道がとおり、駅が設けられてつくられた新しい道、という意味でしょう。村人の鉄道への期待がうかがえます。

助川新道にそって鉱山電車の引き込み線や、鉱山荷扱所、鉱山電車の助川停留所、高鈴村役場などがありました。

1930(昭和5)年に助川町(1925年高鈴村が町に昇格し、助川町となりました)に日立製作所の海岸工場ができました。同じ時期に助川新道の道幅は広げられました。1939年、日立町と助川町が合併し日立市が誕生し、新道通りは日立市を代表する商店街となりました。

銀座通り

助川新道が「銀座通り」といつごろからよばれるようになったのか、はっきりしませんが、1949(昭和24)年4月28日付の『いはらき』新聞には「道路拡張に反対 日立市銀座の商店街」という記事をみることができます。新聞記事は戦災復興都市計画事業で道路幅を広げることに商店主たちが反対していることを伝えているのでしょう。

1950年ごろからは、銀座通り商店街で「七夕まつり」が開かれるようになります。七夕まつりでは、コンクールが行われ、かざりのすぐれた個人と団体には賞がおくられました。

1955(昭和30)年にはこの通りにネオンアーチが建てられ、1960年代後半には、けやき通りと市民会館通りとの間にアーケードがつくられます。雨の日でも傘をささずに買い物ができるようになりました。

ひたち銀座モール

市民会館通りと6号国道の間では、1970(昭和45)年から歩行者天国が始められ、路線バスやバイクも含め自動車は乗り入れ禁止となりました。

1983(昭和58)年12月、けやき通りと6号国道の間の日立銀座通りは「ひたち銀座もーる(モール)」として生まれ変わります。カラータイルの路面、噴水、街路樹、ベンチなどがつくられでました。

1995(平成7)年には日立駅前の再開発地内の「パティオモール」と「ひたち銀座もーる」を結ぶ「まいもーる(なぜかひらがなで表記されます。マイモール)」ができました。けやき通りと市民会館通りの間の「まいもーる」は流線形のアーケードがあったり、一方通行ですが、自動車が通り抜けることができるのが「ひたち銀座もーる」とはちがいます。

2005年3月には、銀座通りで35年間続いた歩行者天国は終わります。4月から一方通行で車が通行できるようになりました。

日立銀座通りの歩行者天国

『日立市報』(1970年8月5日・20日号)によれば、1970年7月31日から8月3日までの4日間、正午から午後7時まで銀座通りからバイクを含めた車輌の「締め出し」が行われました。テストだということです。その結果が好評だったので、8月8日(土)から当分の間として、毎週土曜・日曜そして祝日に同様に車輌の通行止めが行われました。当分の間とは銀座通り周辺地区で下水道の建設工事が行われるその期間で、工事が終了すれば、毎日行うとしています。ただ、通行止めの区間は、テスト期間と異なり、6号国道と市民会館通りの間に限られました。このときまでは歩行者天国という言葉は使われていません。

翌1971年の『日立市報』(3月5日号)によれば、70年の12月21日、毎日実施されるようになります。このときの記事の見出しは「銀座通りの歩行者天国」です。

ところで、東京銀座の歩行者天国は、1970年8月2日(日)から始まりました。最初は日曜日と祝日の正午から6時まででした。73年から土曜日(午後3時から6時まで)も加わります。アメリカではニューヨークの5番街で行われていました。7月11日に第1回の実験が行われ、東京銀座で始まる前日の8月1日には4回目の実験がなされています(朝日新聞 1970年8月3日付)。

日立での実施はニューヨークからは3週間ほど遅れますが、東京銀座より二日早かったことになります。東京での歩行者天国は全国紙の一面を飾っていますが、ニューヨークのことはふれても日立のことはまったくふれていません。もちろん他の地方で行われていても、日立同様全国紙には気づかれずに記事になっていないだけかもしれません。その点で日立が日本初というのはひかえておきます。

東京銀座では現在でもほぼ同じ時間帯で歩行者天国が続けられています。日立では2005年3月をもって歩行者天国が消え、車が通行するようになりました。その違いはどこにあるのか、興味あるところです。