日立に電灯がついたころ
日立にはじめて電気がついたのは、明治37、8年のころですね。当時の赤沢鉱山で発電所をつくって、自家用に使ったようです。
祖父から聞いた話ですが、鉱山で電気がついたから見においでくださいと招かれて、祖父がいったそうです。電灯が明るいのに感心したり、ごちそうになったりして、鉱山に泊めてもらったそうですが、いざ床にはいって眠ろうとしたが、電灯が明るすぎて、どうしても寝つかれない。そこで鉱山の人に頼んだそうですよ。「すまないが、電灯の芯を細くしてくれませんか、明るすぎるんで」と。
当時、村で新聞を購読していた2、3人のうちのひとりで、村では物知りといわれた祖父ですら、そういって鉱山の人に笑われたそうですよ。
一般家庭に電灯がつくようになったのは、大正3年だったと思います。はじめて電灯がついた日のことは、よくおぼえています。その日は昼間、電気工事の人が各戸を点検して回りました。みな、薄暗くなるのを待っていました。こどもたちはもう興奮して、夕方が待ちきれないほどでした。電気がつくと、こどもたちは喜んで、わあ電気がついた、電気がついたと飛び回っていました。
どこの家でも電灯は1灯だけ、それも5燭か10燭しかつけませんでしたね。ですから、石油ランプも併用して使っていました。電灯がついてからも、しばらくはランプ掃除をさせられました。ランプ掃除は、どこの家でも、こどもの日課でしたからね。
電柱はふつう、どこでも道路に建てたんですが、宮田の本町通りだけは、各戸の屋敷内に建てさせたものです。道路に電柱があると、お祭りのとき風流物をひくのに、じゃまになりましたから。
外灯も、町内になんか所か、電気会社の負担でついたんですが、それまでは夕方になると、石油罐とじょうごを持って、脚立をかついだ人が回ってきて、店の軒先につるしてある軒灯に灯を入れて歩いたものでした。
日立市郷土博物館『市民と博物館』第3号(1978年)