日立製作所初の製品 5馬力誘導電動機
日立市郷土博物館に展示されている5馬力誘導電動機の銘板
日立市郷土博物館に展示してあるこの資料は、日立製作所初の製品である5馬力誘導電動機(以下、5馬力モーターと略す)であり、日立製作所所有のものである。1910年(明治43)製造の5馬力モーターである、と紹介している。1975年博物館開館当初から展示されている。
このモーターに銘板が貼り付けられている。1か所判読できないところ□があるが、以下のようなものである。太字は刻印されたもので、その他は印刷文字である。
この5馬力モーターの製作にあたっては、エピソードがある。初の製品であるから当然であろう。その紹介は別に行うことにして、5馬力モーターそのものについて紹介しよう。
この項を書くにあたって参考にしたのは以下の文献である。
- A『日立市の文化財』(増訂版「日立市の文化財」編集委員会編 1999年1月6日発行)。
- B『茨城の文化財』(第40集 茨城県教育委員会編・発行 2002年3月31日発行)。
- C『日立工場五十年史』(日立工場50年史編纂委員会編 1961年11月25日発行)。
- D『日立製作所史 1』(株式会社日立製作所臨時五十周年事業社史編纂部編 1960年10月5日改訂版)
5馬力モーターのうち日立製作所日立事業所内の小平記念館に展示されている第1号機が茨城県指定文化財となっている。歴史資料第6号として2002年1月25日指定された。
Aには指定文化財である1号機について、次のように説明がある。「日本人の手による国産として初めてのモーターである。…… 本体は高さ46cm、幅28cm、奥行43.5cm、軸の長さ52cm、鋳鉄製のかご形で、出力5馬力、電圧440V、周波数60ヘルツ、極数4極、回転数1, 120回転/毎分」。しかし国産初のモーターとは誤りではないだろうか。すでに1895年(明治28)には芝浦製作所(現在の東芝)が25馬力のモーターを製造しており、国産初の栄冠を手にしている。
最初に作ったのは3台で1台が現存
Bには「本件(県指定された5馬力モーターのこと)は、この時作られた3台のうちの第1号機、すなわち製造番号No.1の4極、5馬力誘導電動機である。440ボルト、60ヘルツ、回転数毎分1120回転で」とここまで規格についてはサイズが抜けている以外Aと同じである。ついで「同時に作られた他の2台は現存していない。…… 5馬力誘導電動機は創業期には多数作られたようで、ほかにも2台が現存している(製造番号13:日立市郷土博物館、製造番号23:日立製作所習志野工場展示室)。」とある。
最初に3台製作されたことは、日立製作所が刊行したCとDの本にあるし、製作にかかわった高尾直三郎の回想録にもある。間違いはないだろう。そのうちの1台が小平記念館に展示され、県指定文化財となっている。これも間違いはないだろう。
Bが「同時に作られた他の2台は現存していない」とする根拠は示されているわけではないが(現存しないことの証明は大変難しい)、おそらく製造番号によってである。小平記念館に展示されているものに、銘板にNo.1と刻印されているのであろう。それをBは製造番号1、つまり第1号機としているのだと思われる。日立市郷土博物館と習志野工場のものはNo.13・23であるので、3台のうちの2台であるわけはない。なぜなら2号機・3号機は製造番号2と3でなければならないから、ということなのであろう。
製造番号
さきに示した日立市郷土博物館に展示されているモーターの銘版をあらためてみてみよう。下から3行目の位置にある「No.13」である。これが製造順番を示す製造番号で、かつ日立市郷土博物館のモーターの前に12台が製造されていた、とはたして断定できるのだろうかという疑問である。今の常識からすれば断定してよい。
しかし同じBが一方では「5馬力誘導電動機は創業期には多数作られたようで」と製造数を特定しない理由はどこにあるのだろうか。
習志野工場の5馬力モーターを考慮すれば単純に「少なくとも23台は製造された」と断定してもいいはずである。断定しない理由は、この形式のモーターが4台以上製造されたという記録がないからではないか。CとDにもその記述はない。また当時製品の販路は社内(日立鉱山)に限られており、日立鉱山に20台以上の小型の5馬力モーターの需要があったのだろうかという疑問である。
さらにDによれば、小平浪平たちは1910年3月日立鉱山用に5馬力モーター3台を製造後、ただちに日立鉱山用に200馬力のモーターの製作にとりかかっており、同年7月には、200馬力のモーターを完成させている。5馬力モーターを数多く作っている余裕があったのだろうか。そのような意味で「多数作られたようで」と濁さざるをえない。つまりNo.13と23は、今のところ記録上は幽霊モーターなのである。
4台目
ところでやっかいなことに創業期の5馬力モーターがもう1台存在する。日立製作所日立事業所内にある復元された創業小屋で展示され、ボール盤を動かしているのである。それも最初に作られた3台のうちの1台であるという。日立製作所の電線工場で動いていたものを、創業者の一人である高尾直三郎によって、1964年、当時工場で使用されていたボール盤とともに日立製作所山手工場に移され、保存されていた。それを1997年創業小屋の改装とともに山手工場から移設した、という話が伝わっている。
これで5馬力誘導電動機が4台現存することがわかった。日立製作所日立事業所に2台、習志野工場に1台、そして日立市郷土博物館に1台。
こうなると、素人にはわからない。Bが指摘するように最初に作った3台のうち現存するのが1台だけなのか。とすると他の現存する3台は何ものなのか、いつ作られたのか、最初の3台との違いは何か。専門家による調査をまつしかない。
森本雅之さん(東海大学教授) の調査
森本さん(工学部電気電子工学科)が4台の5馬力モーターを調査され、「わが国最古の国産誘導電動機の調査」を2007年1月15日の電気学会電気技術史研究会において発表されました。簡単に以下に紹介します。詳しくは論文をお読みください。
小平記念館・日立市郷土博物館・日立製作所習志野事業所・創業小屋にあるものについて、寸法・銘板調査、外観観察を詳細に行い、製造番号はそれぞれ1・13・23・130で、製造年は創業小屋の1911年を除いて、1910年であるとして、次のような結論をだされました。
製造順番は、小平記念館(O)・郷土博物館(K)・習志野事業所(N)・創業小屋(S)という流れにあること。
O・K・Nは同一図面をベースに1910年に製造。Oが製造番号通り最古。Kはその直後に積み厚を上げるなど改良された別ロット品。Nは電圧が220に対しO・Kは440ボルトで、別用途に向けに作られた別仕様品。Sは曲数も異なり(4極から6極に増)、1911年以降にシリーズ展開した際の製品である。
所在地 | 製造番号 | 製作時期 | 電圧 | 極数 | |
---|---|---|---|---|---|
小平記念館 | 1 | 1910 | 440 | 4極 | |
日立市郷土博物館 | 13 | 1910 | 440 | 4極 | 1を改良 |
習志野事業所 | 23 | 1910 | 220 | 4極 | 1・13とは別仕様 |
創業小屋 | 130 | 1911 | 6極 |
森本さんの調査報告書を発表の直後(2007年1月16日)にお送りいただきながら、書類の山に埋もれさせてしまい、紹介が今になってしまったことをお詫びします。おかげさまで現存する4台の5馬力モーターの違いを正確かつ詳細に知ることができます。感謝申し上げます。(2012年4月20日)