ギャラリー展 日立の戦災
1945年(昭和20)6月10日 アメリカ軍機B29の空襲を受け、黒煙をあげる日立製作所海岸工場
1945年6月10日 B29の第1波の空襲を受けた直後の日立製作所海岸工場
1945年7月19日 アメリカ軍機B29の焼夷弾攻撃を受ける日立のまち
伊藤長助さん画
1945年7月17日 アメリカ軍艦の艦砲射撃を受ける日立のまち
伊藤長助さん画
と き
2005年7月20日(水)–9月4日(日)
観覧料
無料
展示写真数
22点
ギャラリーでのほか、2階の常設展示室でも戦災に関した写真など15点をいれかえました。
ギャラリー展
2階の通路空間に、歩くのに邪魔にならないように資料を展示します。いろいろ制約があって、たくさんの資料を展示できませんが、博物館の前を通りかかったとき、ちょっとのぞいてみようか、そうした気分でたちよってみてください。
内 容
日立市が空襲を受けてから60年がたちます。
1930年代、中国への侵略を拡大していった日本。それにアメリカなどから非難の声があがり、日本との対立が深まります。日本は1941年(昭和16)12月8日アメリカ太平洋艦隊へ攻撃をくわえました。真珠湾攻撃です。東南アジアにあった欧米諸国の植民地への攻撃も同時になされました。太平洋戦争のはじまりです。当初、勝ちつづけた日本軍は半年後の42年6月のミッドウェイ海戦以後は敗退をかさね、制空権をうしなっていきます。
日立市域は1945年(昭和20)6月10日と7月17日・19日にアメリカ軍機および艦隊による攻撃をうけました。無差別攻撃といっていいかもしれません。それによって1500人を超える一般市民(軍人ではありません)が亡くなりました。この日立市の被災状況を撮影した写真をパネルによって展示します。
翌8月15日、日本の敗北(無条件降伏)によって戦争は終わりました。
戦後、日本は国際紛争解決のために武力を行使しない—軍隊をもたない国として国際社会の中できわめてユニークな存在でありつづけました。それは60年前の日本国民の体験がそうさせていたのだと思われます。(K)
日立の戦災のよりくわしくは、こちら[日立市の戦災]をご覧ください。