(茨城)県民の生活聞き書き集 記事目録
- 編 者 県民の生活を記録する委員会
- 発行所 同上
- 判 型 B5判
- 本書は、茨城大学図書館と茨城県立歴史館で読むことができます。
号数 | 話者 | 表題 | 発行年 |
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1 | 竿代武 | 甘田入干拓について | 1977年11月 |
榊原直衛 | 醤油醸造業の推移 | ||
2 | 宮内久介 | 小川商人と百里基地 | 1978年2月 |
3 | 先崎政雄 | 大正・昭和期の茨城県石炭業 | 1978年12月 |
大内春吉 | 血盟団事件のころ | ||
4 | 先崎政雄 | 大正・昭和期の茨城県石炭産業(続) | 1979年5月 |
5 | 川崎覚之介 | 利根川沿い、鶏卵と小商いの半生 稲敷郡東村 | 1979年9月 |
6 | 川崎覚之介 | 利根川沿い、鶏卵と小商いの半生(続) | 1979年11月 |
溝口美也 | 舎利部落の生活 鹿島郡波崎町 | ||
7 | 安藤竹太郎 | 日露戦争と村民の生活 鹿島郡波崎町 | 1979年12月 |
8 | 小森忠義・とめ | 飯場経営と坑夫の生活 高萩市 | 1980年6月 |
9 | 石和豪傑 | 炭鉱の社会と坑夫の生活 高萩市 | 1980年10月 |
資料1 坑夫取立免状 明治42年 山口炭鉱鉱業所同盟坑夫 | |||
資料2 坑夫取立免状 大正5年 茨城炭鉱友子 | |||
10 | 石和リツ | 女後山の生活 高萩市 | 1980年12月 |
11 | 古田力造 | 日立鉱山の飯場と坑夫 日立市 | 1981年5月 |
12 | 大貫武雄 | 山中友子と朝鮮人・中国人労働者 日立市 | 1981年9月 |
13 | 内田定夫 | 鉱山と地域社会、戦時下の朝鮮人労働 日立市 | 1981年12月 |
14 | 石井理平 | 新しい教育を求めて 稲敷郡東村 | 1982年4月 |
石川藤吾 | 大正末から昭和期の日立鉱山の労働 日立市 | ||
15 | 石川藤吾 | 大正末から昭和期の日立鉱山の労働(続) | 1982年9月 |
16 | 斎藤貞 | 小炭鉱と常磐神の山の坑の坑内作業 | 1982年12月 |
17 | 坂本ひさし | 嫁がみた五〇町歩地主の盛衰 稲敷郡桜川村 | 1983年4月 |
大高広治 | 日立鉱山の「警戒」から北隆、高玉鉱山へ 日立市 | ||
18 | 大高広治 | 日立鉱山の「警戒」から北隆、高玉鉱山へ (続) |
1983年8月 |
池田竹三郎 | 坑内馬丁から日立鉱山の削岩夫に 日立市 | ||
19 | 小柳恒次 | 樺太の炭鉱から櫛形へ 多賀郡十王町 | 1983年12月 |
20 | 海老名宇八 | 大正期の坑夫と職員 北茨城市 | 1984年4月 |
資料 女性的石炭 『いはらき』新聞 明治39年6月の記事 | 1984年4月 | ||
21 | 山口浩 | 山口炭鉱の盛衰 北茨城市 | 1984年8月 |
22 | 新井隆 | 戦後の櫛形炭鉱と労働組合運動 多賀郡十王町 | 1984年12月 |
竹田精孝 | 櫛形の鉱員組合と職員組合 多賀郡十王町 | ||
資料 大日本炭鉱勿来礦鉱夫雇用労役規則 昭和12年2月 | |||
23 | 森重喜 | 福島・満州・茨城の炭鉱労働 多賀郡十王町 | 1985年4月 |
資料 大日本炭鉱勿来礦鉱夫雇用労役規則(続) | |||
24 | 鈴木利 | 唐虫礦の山札と戦中戦後の炭鉱労働 北茨城市 | 1985年8月 |
25 | 大竹ハルノ | 中小炭鉱の飯場経営と女後山 北茨城市 | 1985年12月 |
26 | 江戸一郎 | 日立鉱山での労働と生活 日立市 | 1987年12月 |
相馬喜志郎 | 静岡の鉱山・茨城の炭鉱 北茨城市 | ||
27 | 相馬喜志郎 | 静岡の鉱山・茨城の炭鉱(2) 北茨城市 | 1988年6月 |
圷栄一 | 戦後常磐炭礦中郷礦の技術と労働 水戸市 |
聞き書き集について(第2号より)
私たちは、かねてから明治・大正・昭和の三代を生きてきた人々から、さまざまの階層や職業にわたるその生活の実際を聞きそれを記録することの重要性を痛感し、かつ、そのことを細々と実行にうつしてきました。そして、いま、その利用という面から考えると、それらの聞き取りをテープのまま保存するだけでなく、できるだけ忠実に活字におこしておいた方がよいと考えるようになりました。そして、聞き取り作業の重要性やその意義を広く伝えるためにも、そして、そのなかから聞き取り作業に主体的に参加する人を多く獲得するためにも—聞き取り対象者は多ければ多いほどいいのですが、もともと手間ひまかかる作業ですから、そのためには聞き手がたくさんいることが必要なのです—、簡単な小冊子にまとめて頒布できるような体制にもっていった方が望ましい、との結論に達しました。また、そうすれば聞き取り対象者にたいする礼儀にもかなうとも思います。
私たちが聞き取り対象者として念頭に絶えずとどめてあるのは、明治・大正・昭和の歴史を底から支えてきた人々、歴史の表面に出ることなく、時代を生きぬいてきた生産者の人々です。しかし、その人々の生活を浮きぼりにするためにも、その対極に立つ人々の生活をも記録しなければなりません。したがって、私たちの対象は広い範囲にあるということですが、帰するところ、真実の感動を与えてくれる人々が対象だということになります。(以下略)