日立の碑

ひたち碑の会(代表 成田俊幸さん)が7年をかけて日立市内全域の532基の石碑を調査。墓碑を除けば石碑は網羅している。

その中から108基の碑を選びだし、碑文が漢詩文なら書き下しをつけて読みやすくし、読みの難しい漢字にはふりがなを付し、難しい熟語には語意を加え、紹介している。おまけに108基すべてに写真。

この本文のほかに、カラーの口絵写真4頁、108基の所在地図、108基の石碑に登場する390人の人名索引、残る424基の一覧表、全部で217頁。


江戸時代から明治・大正・昭和にかけての顕彰碑や墓碑を史料としての利用をむずかしくしていたのは、その漢字だらけの碑文にある。史料批判以前の問題である。たとえば、折笠町(現在は川尻町になっている)に自由民権運動家でのちに衆議院議員・貴族院議員となる大津淳一郎の顕彰碑がある。ノートと鉛筆を手に碑の前に立つ。全文を写しとろう、その意気込みは最初のうちだけ。高さが3メートルをこえるだけでなく、碑面にびっしりと漢字だけが1000字も並んでいる。はるか頭上の文字。正体不明の漢字もある。数十の文字を写しとったところで、さてどれだけ時間をかければ写しとれるのだろうか、意気込みは萎えてくる。

下孫村(多賀町)の長山忠義の顕彰碑も多賀郵便局の目の前にあるからご存知の方も多いだろう。この碑も漢字だけで1000文字を超える。有名な照山修理顕彰碑は700の漢字。常陸多賀駅前「下孫停車場碑」は500文字を超える。500の漢字がずらりと石の表面に整列している石碑はめずらしくない。


写しとったところで漢文である。返り点や送り仮名があるわけでなく、ところどころわかるにしても全体を通して意味はわからない。

そんな漢字だらけの碑文が、漢文の素養のない私にも読めるよう活字化され、書き下しがついている。市町村史編さん事業で出版された類書が数ある中で、本書の特徴は、すべての漢文、漢詩に書き下しがついていることである。


東河内町の玉簾寺境内に松尾芭蕉の句碑がある。多賀市民プラザには最近多賀駅前からうつされた五世白兎園宗瑞の句碑がある。短くていいが、草書で書かれ、しかも変体仮名がまじっている。前者は「松風の於ち葉可水能音壽ヾし」、後者は「山遠奴具力霞球之亭春農水」である。この文字列をすらすらと読める人はそういないはずだ。それらを現代の私たちに読めるようにしてくれている。ちなみにこれらの句は「松風の落ち葉か水の音すずし」「山をぬく力かくして春の水」とある。


会員の皆さんによれば「これまで紹介されてきたものに、読み違いが多いことを発見した。それらを補っており、完全版である」と。自信作である。それはそうだろう。石に刻まれた千もの漢字を一文字ずつ吟味しなながら、写しとり、意味をとるという作業を、一基ならともかく百をこえる数をこなした人がこれまでいたとは思えない。

本文は、石碑108基を文学碑21基、顕彰碑13、墓碑29、記念碑30、戦禍および慰霊碑15に分類して紹介している。初めて活字で紹介される石碑も多い。郷土博物館の志田諄一館長が「刊行によせて」で、本書に収録された「茅根美山墓碑」によって、18世紀半ばにおける神葬祭をめぐる幕府の宗教政策と水戸藩領内の神官の動向を描いているが、この碑も初めて活字化されたもの。