史料 水戸領中御法度箇条秘書
日立市郷土博物館の自主学習グループである古文書学習会が解読し、翻刻した「水戸領中御法度箇条秘書」を PDF版 で提供します。
成立時期 わかりません。が、寛文11年(1671)から明和7年(1770)までの水戸藩の法度(法令)を中心に幕府の制札などが記録されているので、18世紀末の成立と推測します。。
- 次に紹介する「どんど火焚」の項に「四郡」とあります。水戸藩が民政をあつかう郡奉行所の管轄は寛永10年(1633)3郡、寛文10年(1670)5郡、宝永元(1704)4郡、享和2年(1802)11郡、文化元年(1804)10郡、天保2年(1831)4郡と目まぐるしく変わります(『水戸市史』中巻一)。このどんど火焚の記事は天保期のものではなさそうです。
記録者 不明です。水戸領内の村役人おそらく庄屋と考えられます。
内容 本文の冒頭に「御領中御法度(法令)大小に限らず御条目ならびに御制札(高札)のほか郡奉行所の規定の類」を書き留めたものである、とあります。
116の項目が立てられており、村人の生産や生活・習慣を広範囲に規制しています。逆に言えば、江戸時代における村人の生産と生活の実態をこれら規制を通じて具体的に知ることができます。なお116項目の配列は、時期順にはなっていません。かといって内容でまとめられているかというとそうでもなさそうです。
「どんど焼き」という小正月の行事がありますが、本史料の98条にこの行事についての記事があって、それは次のような内容です。
─正月14日の「どんど火焚」は水戸領内全域で昔から行われてきたが、これについての規制は、御用留に見当たらない。農民達は鳥追をすることで田んぼに鳥がよりつかないと古来言い伝えてきた。毎年人家から離れた場所で子どもの遊びに焚いてきた。この行事にそのうち役所から触がだされるであろう。
正月十四日どんど火焚之義ハ、四郡共ニ古來より之御用留ニ相分リ不申候処、百姓共ハ鳥追と稱候而田方へ鳥之不付事を古來より申傳、年々宿内人家等を離候場所にて子共之遊ニ焚來申候義ニ御座候而右之儀ニ付候而ハ役所より急度相觸候義ニ御座候
「どんど火焚」の何が問題とされるのかわかりませんが、禁止されるべき農村行事として検討されていたのでしょう。
編者である古文書学習会は、この史料を読み終えて、テキスト化して2020年6月20日に印刷して会員間にのみ配布していたものを、今回本サイトにおいて公開するものです。