史料 日立の水産 歴史篇


財団法人日立市水産振興協会(日立市産業経済部農林水産課内)が発行している『日立の水産』という冊子(行政資料)がある。1983年に第1号が発行されその後毎年刊行されてきた。内容細目についてはこちら 文献紹介|近現代 を参照。

この冊子の第2号から断続的に、会瀬の定置網、河原子、川尻、久慈浜の漁業が特集に組まれた。それらのうちから歴史篇をとりだし、再編集したものがここで紹介するものである。

日立市水産振興協会の事務局である農林水産課の職員で『日立の水産』の編集を担当した数藤和義さんに誘われて、編集の一部(歴史部門)を当時日立市郷土博物館に所属した島崎和夫がお手伝いした。今となっては、追加すべき史料や説明が必要な事項もあるが、三十年前の仕事をそのままにここに紹介する。

日立市域において、かつて水産業(漁業と加工業)は今では想像できないほどに重要な意義をもっていた。しかし研究はきわめて少ない。その点で本資料集が研究の進展に役立つのではないか。これが今回作業をはじめようとする動機である。

江戸時代、水戸領石神組所属村の漁獲高

江戸時代、茨城県北部を支配した水戸藩、その地方統括組織のひとつ石神組の郡奉行所の文化6年(1809)の御用留がある。それは石神組御用留研究会が『水戸藩郡奉行所 文化六年 石神組御用留』として翻刻している。そのなかにある文書番号66・483の史料は、管轄区域の文化5年7月から翌年6月までの一年間の漁獲高を書上げたものである。以下にその合計高を示す。単年の数値ではあるが傾向はつかめよう。

村松東方村4貫
石神白方村6貫
久慈村2,600貫150文
水木村2,435貫300文
河原子村11,054貫
会瀬村10,292貫480文
滑川村390貫800文
田尻村887貫700文
折笠村207貫100文
川尻村7,793貫180文

河原子村の漁獲高を鐚から金に換算すると、公定相場でおよそ金2,736両。米にすると2,736石分。河原子村の村高は897石(米に換算して900両)。つまり漁獲高は農業生産高の3倍にものぼることになる。

会瀬村の場合、同様に漁獲高は2,573両、村高は648石(米に換算して650両)。漁業は農業の4倍ちかくもの生産高があることになる。

しかも漁業税は漁獲高の5パーセント。田畑の税はおよそ40パーセント。

以上はごく単純化して説明していますが、この多額の漁獲高が家や村、地域の経済、そして人々の生活にもたらしていた意味を日立市域に即して明らかにしていければと思います(果せるかどうかわかりませんが)。江戸時代、自給的性格の強い農業でも実は商業的農業が広範囲に展開しており、また生産が販売目的である他の産業(林業・水産業・鉱工業)および商業活動のひろがりについて江戸時代の政治はその生産実態や活動をとらえきれていない、それが石高制に基づいた幕藩体制を経済的に崩壊にみちびくわけですが、その地方的実態をすこしでも明らかにしていければ、ということです。

明治末の茨城県内各浜の規模

明治42年(1909)の県内各浜の漁業規模について新聞報道[註]から抜きだして示します。この時期における各浜の位置関係が端的に知りえます。

鰹船鮪船秋刀魚船ギス船雑漁船漁夫数
東下村[波崎市]15402722,314
夏海村[鉾田市]64158
白鳥村[鉾田市]24250
磯浜町[大洗町]64325403013,080
湊町[ひたちなか市]2020161,384
平磯町[ひたちなか市]4256541,360
磯崎[平磯町 ひたちなか市]1628119471
久慈町[日立市]2082830140880
坂上村[水木 日立市]1212815230
河原子町[日立市]10131366550
高鈴村会瀬[日立市]43310018[ママ]
日立村[日立市]61108
日高村[日立市]7375
豊浦町[日立市]1035390370
櫛形村[伊師浜 日立市]2242
松岡村[高戸 高萩市]77
北中郷村磯原[北茨城市]2424
大津町[北茨城市]309126120[ママ]
平潟町[北茨城市]51350230
  1. [註]『いはらき』明治43年5月25日付「昨年の遭難漁船 溺死者は僅か卅四人」より。この記事には「漁船漁夫」の統計も示されている。なお本記事は 史料 河原子の漁業 の史料29に全文を掲載している。