北茨城名士録 炭鉱関係者索引
- 編著者 鈴木北州(北州は号。実名は靖之)
著者鈴木靖之は本書367ページで自らを紹介している。茨城県多賀郡華川村上小津田(北茨城市)に1903年(明治36)に生まれ、明治学院英文科、早稲田大学法科を卒業し、社会運動(無政府主義運動)に参加。治安維持法違反で検挙され、服役後故郷で農業のかたわら母鈴木たまの炭礦経営を助ける。1956年(昭和31)に北いばらき新聞社を設立、創刊10周年記念として本書を編纂、出版する。 - 発行所 北いばらき新聞社
- 発行年 1967年(昭和42)9月
- 判型等 B5判 本文424頁 図版18頁
- 内容 400人を超える北茨城市の人々の生地、生年、事蹟を紹介する文字通り名士録である。
炭礦関係者
炭礦関係者のみをとりあげる(いろは順)。採掘鉱区をもたない斤先掘りの小規模経営者も採録するなど、北茨城市という狭い地域であるにしてもていねいな取材をしていることがうかがえる。またここには収録しなかったが、炭礦を主要な顧客とする例えば材木商、生活日常品の小売商、あるいは炭礦用地の提供者などもとりあげている。
名前が太字は、末尾に簡単な人物紹介をおこなった。
名前 | 主な所属炭礦 | 生年 | 出生地 | 頁 |
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伊藤甚蔵 | 関本炭礦(関本村)経営 | 明治25年 | 東京市 | … 3 |
今井広 | 重内炭礦(磯原町) 炭労常磐地方本部 | 大正9年 | 北中郷村 | … 5 |
浜岡忠雄 | 常磐炭礦神の山礦(関本村)労務課 | 大正7年 | 神奈川県横浜市 | … 8 |
二田籌 | 大日本炭礦(華川村上小津田) 二田炭礦(上小津田)経営 | 明治17年 | 上小津田村 | …11 |
戸部光衛 | 重内炭礦経営 | 明治21年 | 栃木県馬頭盛泉 | …17 |
飛田忠義 | 重内炭礦 | 大正9年 | 北中郷村 | …27 |
千葉直彦 | 常磐炭礦茨城礦業所庶務課 | 大正11年 | 宮城県仙台市 | …31 |
沼田吉文 | 常磐炭礦中郷礦(南中郷村) 茨城礦業所庶務課 | 明治43年 | 松原町 | …35 |
沼田幸太郎 | 重内炭礦 八千代炭礦(北海道) 広部炭礦(福島県)礦長 | 明治13年 | 南中郷村 | …36 |
渡辺三郎 | 中郷無煙炭礦 常磐炭礦茨城礦業所長 | 明治45年 | 宮城県仙台市 | …42 |
渡辺亀一郎 | ○カ炭礦(華川村)経営 | 明治28年 | 華川村 | …47 |
加藤明 | 赤井多喜炭礦(福島県赤井村) | 明治33年 | 北中郷村 | …47 |
片寄富七 | 丸充炭礦(斤先 磯原町)経営 | 明治33年 | 福島県大浦村 | …61 |
加古平吉 | 関本炭礦所長 | 明治20年 | 福島県植田町 | …62 |
影山清春 | 常磐炭礦中郷礦 | 大正元年 | 福島県内郷村 | …63 |
神永喜八 | 文政7年 | 上小津田村 | …73 | |
横倉農夫 | 鈴木炭礦(華川村)労務課 | 明治42年 | 華川村 | …75 |
横倉要二 | 大日本炭礦磯原礦 | 明治15年 | 新潟県高田市 | …78 |
吉田久雄 | 大日本炭礦磯原礦業所総務課 | — | 熊本県苓北町 | …81 |
滝亥之吉 | 山口炭礦 | 明治31年 | 北中郷村 | …93 |
滝亀次 | 滝炭礦(華川村)・多喜炭礦(福島県赤井村)経営 | 明治14年 | 南中郷村 | …94 |
滝高雄 | 多喜川部炭礦(福島県川部村)経営 | 明治37年 | 南中郷村 | …95 |
滝正一 | 多喜赤井炭礦 | 明治37年 | 松原町 | …100 |
丹正美 | 茨城無煙炭礦車置礦 | 明治17年 | 華川村 | …107 |
丹孝次郎 | 丸福炭礦(磯原町)経営 | 明治35年 | 北中郷村 | …108 |
根本正行 | 常磐炭礦茨城礦業所所長 | 明治35年 | 秋田県角館町 | …114 |
中村保 | 常磐炭礦労働組合 | 明治45年 | 福島県四倉町 | …119 |
長井義秋 | 常磐炭礦神ノ山礦 | 大正15年 | 東京市 | …124 |
滑川敬三 | 小豆畑炭礦経営 | 天保14年 | 華川村 | …132 |
向啓一郎 | 大日本炭礦磯原礦業所 | 大正3年 | 広島県三原市 | …133 |
宇佐美秀吉 | 宇佐美炭礦(茨城無煙炭礦の斤先)・宇佐美炭礦第2礦・宝永炭礦(上小津田)経営 | 明治8年 | 華川村 | …145 |
熊谷浩 | 福島炭礦(好間村)の下請飯場・熊谷炭礦経営、高萩炭礦秋山礦飯場経営 | 明治26年 | 福島県平市 | …184 |
熊田耕二 | 常磐炭礦中郷礦機電課 | 大正11年 | 南中郷村 | …185 |
久慈実 | 常磐炭礦茨城礦業所労務課 | 大正9年 | 日立村 | …185 |
山県東 | 常磐合同・須藤炭礦 | 大正元年 | 華川村 | …193 |
山県吉雄 | 宝永炭礦経営 | 明治17年 | 華川村 | …197 |
山県幸 | 大日本炭礦測量課 | 明治35年 | 華川村 | …199 |
山県満寿 | 吾妻炭礦労働組合 | 大正6年 | 華川村 | …200 |
山口浩 | 山口炭礦経営 | 明治37年 | 北中郷村 | …202 |
松野敏夫 | 常磐合同炭礦斤先松野礦経営 | 大正2年 | 東京市 | …212 |
松本二郎 | 上田・望海・俵炭礦 | 大正5年 | 南中郷村 | …212 |
遠藤章 | 重内炭礦所長 | 明治26年 | 福島県遠野村 | …232 |
青柳名雄 | 常磐合同炭礦労働組合長 | 明治26年 | 多賀郡高岡村 | …236 |
相原久蔵 | 関本炭礦 | 大正5年 | 宮城県村田町 | …238 |
荒川丹吾 | 荒川炭礦(磯原町峰岸)経営 | 明治32年 | 北中郷村 | …242 |
青山栄 | 常磐炭礦(株)社長 | 明治33年 | 北中郷村 | …244 |
雨宮久蔵 | 北中郷村大塚に炭礦を開鑿 | 弘化4年 | 南中郷村 | …246 |
安島一郎 | 重内炭礦 | 大正3年 | 北中郷村 | …247 |
坂本龍一 | 関本炭礦所長 | 明治42年 | 福島県上遠野村 | …268 |
宮崎諒 | 十王炭礦 | 大正3年 | 宮城県涌谷町 | …284 |
平賀芳雄 | 常磐炭礦(株)中郷礦 | 大正3年 | 高鈴村助川 | …309 |
森真澄 | 常磐合同運輸 森石炭販売店経営 | 明治37年 | 福岡県飯塚町 | …310 |
須藤鍳 | 須藤炭礦経営 | 明治34年 | 茨城県上中妻村 | …314 |
須藤正 | 須藤炭礦経営 | 昭和3年 | 松原町秋山 | …315 |
杉本次平 | 杉本炭礦経営 | 明治31年 | 石川県小松町 | …316 |
杉本かね | 洋裁学校・幼稚園経営。旧姓長谷川 | 明治45年 | 東京市 | …317 |
鈴木俵 | 俵炭礦・十王炭礦経営 | 明治22年 | 北中郷村 | …331 |
鈴木たま | 大山炭礦(磯原町大塚字峰岸)・高山炭礦(華川村上小津田字高山)経営 | 明治17年 | 華川村 | …336 |
鈴木幸次 | 常磐合同炭礦労務課 | 明治36年 | 華川村 | …347 |
鈴木守 | 鈴木守炭礦・伊勢炭礦経営 | 明治41年 | 北中郷村 | …351 |
鈴木清 | 鈴木炭礦・常福石炭経営 | 明治40年 | 群馬県水上村 | …352 |
鈴木満 | 上田炭礦 | 明治31年 | 南中郷村 | …354 |
鈴木金太郎 | 山口炭礦礦長 | 明治34年 | 北中郷村 | …358 |
鈴木実 | 俵炭礦・十王炭礦経営 | 大正6年 | 北中郷村 | …359 |
鈴木茂 | 俵炭礦・十王炭礦経営 | 大正2年 | 北中郷村 | …360 |
人物紹介
- 伊藤甚蔵:東京の石炭販売問屋業から広野炭礦(福島県双葉郡広野村)・丸新炭礦・三和炭礦(福島県石城郡山田村)・関本炭礦(多賀郡関本村関本上)
- 二田籌:華川村収入役から1913年(大正2)大日本炭礦唐虫礦の庶務課長、以後多賀郡会議員、華川村長、茨城県会議員を歴任し、47年(昭和22)二田炭礦を華川村上小津田に開坑。大日本炭礦が所有する唐虫礦の鉱区は以前は父幸の所有。
- 戸部光衛:1914年(大正3)辰ノ口炭礦(福島県石城郡内郷村)創業、30年(昭和5)小野田炭礦(石城郡好間村)、37年(株)戸部商店設立(43年戸部鉱業(株)と改称)、38年重内炭礦(磯原町大塚)創業(磐城炭礦の重内鉱区を譲り受ける)。50年戸部鉱業の販売部門を部門を分離し、戸部石炭(株)を設立し代表取締役。一方で43年東洋濾紙(株)、44年菊美酒造(株)、52年塚本精機(株)、55年日本炭礦株式会社代表取締役に就く。
重内炭礦と戸部光衛については『聞きがたり 続茨城の炭礦に生きた人たち』に収録された会沢義雄さんの「重内炭鉱の閉山を礦務課長で迎えて」が参考になる。 - 加古平吉:1903年(明治36)手綱炭礦、磐城炭礦、12年(大正元)勿来炭礦、1917年城戸炭礦(植田)、1922年重内炭礦、30年(昭和5)鳳城炭礦(植田)、39年関本炭礦に勤務。以後関本炭礦に27年在籍し、礦業所長、副社長をつとめる。
- 横倉農夫:著者鈴木靖之の実弟。聞きとりが『聞きがたり 茨城の炭礦に生きた人たち』(炭礦の社会史研究会編)に収録されている。
- 山口浩:父一良が叔父山口嘉三の炭礦経営を助ける。嘉三は1908年(明治41)北中郷村の炭礦を買収。その後父一良が経営を引き継ぎ、さらに浩が41年(昭和16)経営を引き継ぐ。準重要鉱山に位置づけられる。56年山口炭礦は閉山し、経営から身をひく。聞きとりが『聞きがたり 茨城の炭礦に生きた人たち』(炭礦の社会史研究会編)に収録されている。
- 鈴木たま:著者鈴木靖之の母。1907年(明治40)茨城無煙炭礦に坑木を供給、16年(大正5)大日本炭礦坑夫長屋の建築を請負う、1918年茨城無煙炭礦山下礦の事務所・選炭塲・劇場等の建築を請負う、25年所有地(華川村上小津田字高山)が日支炭礦汽船(株)が経営する華川無煙炭礦の採掘によって陥没し、この事故を機に炭礦経営にのりだす。通称おたま炭礦。のち閉山。39年(昭和14)大山炭礦、ついで高山炭礦を開鑿するも、43年の政府の弱小炭鉱整理方針により同年閉山。
日支炭礦汽船は1924年頃に華川無煙炭礦(株)が所有する華川無煙炭礦(華川村と関本村にまたがる約31万坪の鉱区所有)を取得する。1923年の採掘量は787トン、24年不明、25・26年0、27年530、28年1,747、29年1,225、30年889、31〜33年0、34年784、35年1,728、36年1,252、37年以降採掘量統計は非公表。38年鉱業権は帝国炭業(株)へ移る。