日立市域の行政区画の変遷
江戸時代から現代

日立市域には江戸時代前期には52の村があった。村は行政の単位である。庄屋などの村役人がおり、領主の年貢賦課は村に対して行なわれる。そうした村が統合を繰り返しながら、現代では日立市という一つの行政単位となった。それら行政区画の変遷を紹介する。

久慈郡

 元禄郷帳 
1702年
元禄郷帳
 村高
 天保郷帳 
1834年
 天保改革 
1830〜43年
 市町村制 
1889年
町村合併促進法
1955〜56年
下土木内362 下土木内

 東小沢村











  日立市
釈迦堂870 釈迦堂 神田[1]
児島[2]157 児島 ⤵[3]
 留
283 留
久慈1309 久慈 久慈村[4]
南高野311 南高野

 坂本村
茂宮476 茂宮
田中中[5]704 田中中 大和田[6]
大橋676 大橋
石名坂497 石名坂
良子260 良子
 東河内[7]







 中里村
水瀬174 水瀬
平山103 平山
東河内上216 東河内上
油ヶ崎136

 下深荻[9]


 下深荻
東上淵96
西上淵285
岡丁[8]174
岩折244
188
 中深荻

 中深荻[11]
呉坪199
深荻[10]216
赤根45
入四間522 入四間 入四間
 ⤴[12]
笹目117 笹目
  1. [1]神田:天保13年(1842)に改称
  2. [2]児島:寛永21年(1644)「御知行割郷帳」(『茨城県史料 近世政治編Ⅰ』所収)によれば「留児島村」とあり、留村と一村。
  3. [3]天保134年に留村に編入
  4. [4]久慈村:久慈村が町制をしくのは、明治27年(1894)2月5日
  5. [5]田中中:寛永21年の「御知行割郷帳」では「田中内」。文化4年(1807)の「水府志料」には「田中々村」とあり、「舊名田中内村、元禄六酉の年[1693]、中の字に改む」とある。
  6. [6]大和田:天保13年に統合
  7. [7]東河内:天保13年に統合
  8. [8]岡丁:前出「御知行割郷帳」では「岡帳」、「水府志料」では「岡町」と表記される。
  9. [9]下深荻:天保5年(1834)に統合
  10. [10]深荻:「古ハ悦子村」と説明あり。前出「御知行割郷帳」でも「悦子」とある。
  11. [11]中深荻:天保5年に統合
  12. [12]笹目:天保14年に入四間に編入

多賀郡

 元禄郷帳 
1702年
元禄郷帳
 村高
 天保郷帳 
1834年
天保改革
1830〜43年
 市町村制 
1889年
町村合併促進法
1955〜56年
森山456 森山
 坂上村[13]










 日立市
大沼694 大沼
水木510 水木
河原子897 河原子 河原子町[13]
金沢743 金沢
 国分村[13]
大久保[14]1541 大久保
下孫398 下孫
諏訪476 諏訪 諏訪
 ⤴[15]

 鮎川村[13]
 滝平新田
油繩子360 油繩子
成沢585 成沢
会瀬649 会瀬 高鈴村[16]
助川1438 助川
宮田1030 宮田 日立村[16]
滑川963 滑川
田尻739 田尻 日高村
小木津1807 小木津
砂沢201 砂沢
 豊浦町
折笠492 折笠
川尻1021 川尻
伊師浜336 伊師浜 伊師
 [17]

 櫛形村




 十王町[20]
伊師町593 伊師町
伊師本郷528 伊師本郷
友部1677 友部
山部[18]1060 山部
 黒前村
高原613 高原
黒坂126 黒坂 黒坂
 ⤴[19]
立割新田26 立割新田
  1. [13]河原子町・国分村・鮎川村は昭和14年(1939)4月1日に合併して多賀町が成立。その後昭和16年2月11日に坂上村は多賀町に編入
  2. [14]大久保:寛永12年(1635)「水戸領郷高帳先高」(『茨城県史料 近世政治編Ⅰ』所収)によれば「大窪」とある。
  3. [15]滝平新田:天保13年(1842)に諏訪村に編入
  4. [16]高鈴村は大正14年(1925)に町制を布き助川町と改称、日立村は大正13年に町制施行。この二つの町は昭和14年(1939)9月1日合併して、日立市が成立
  5. [17]伊師:天保13年に伊師浜・伊師町・石滝の3ヶ村が統合して成立。なお、石滝は明治22年(1889)の市町村制施行時に伊師村から分離し、高萩・安良川・島名・秋山・福平の各村と共に松原町を形成する。
  6. [18]山部:前出「水戸領郷高帳先高」には「山邊」とある。
  7. [19]立割新田:天保13年に黒坂に編入
  8. [20]十王町:2004年11月1日に日立市に編入

項目について

  1.  ・元禄郷帳:元禄15年(1702)4月成立。こに記された村高を石未満を四捨五入して示した。村の大きさが知られる。国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧できる。
  2.  ・天保郷帳:天保5年(1834)成立。国立公文書館蔵
  3.  ・天保改革:水戸藩において藩主徳川斉昭の主導で行なわれた天保期の藩政改革。その一環として村の統合が実施された。
  4.  ・市町村制:明治22年(1889)4月1日施行。その際に町村の統合がなされた。
  5.  ・町村合併促進法:昭和28年(1953)10月1日施行。この法律に基づき、日立市域では東小沢村・久慈町・坂本村・中里村・多賀町・日高村が昭和30年2月15日に日立市に編入。翌31年9月20日、豊浦町が日立市に編入。同年年1月1日、櫛形村と黒前村が合併して十王町が成立

解説

江戸時代、水戸藩の場合、藩庁と村との間に郡奉行所がおかれたが、その管轄区域と開設位置は幾度か変わっている。

また、近代のある一時期(明治11年12月〜大正15年6月)において久慈郡、多賀郡といった郡に郡役所があって、町村と県のあいだの中間の行政機構として存在した。

江戸時代において茨城県北地域を支配した水戸藩の村を一覧できる史料は多くはない。ここではそれらがわかる元禄期と天保期のものによって示した。また近代に入って大きく地方制度の変更があったが、明治期と昭和期のあわせて4時期について表にして示す。

なお本項は『日本歴史地名体系8 茨城県の地名』(平凡社)にある「行政区画変遷・石高一覧」および本文を参照して作成した。

元禄期の村の位置

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