日製という略称の由来

日製とは戦前、日産懇話会内つまり日産財閥内での日立製作所の略称でした。

「日製」をネットで調べると、いろんなサイトでいろいろ言われています。

茨城弁大辞典

日立製作所の略称。これは日立方面限定の言葉

IT用語辞典

本拠地である茨城県では、自治体名称である日立市との区別から、「日製」と呼称される場合が多い

にこにこ大百科

日立発祥の地である茨城県において、「にっせい」と言えば「日生(=日本生命)」ではなく「日製(=日立製作所)」を指すことが多い。特に県央・県北ではそれがデフォ

Wikipedia

特に創業の地であり、主力工場を抱える茨城県日立市などでは、行政機関の日立市や他の日立グループ各社などと区別するため日立製作所の略称で日製とも呼ばれている。特に創業の地であり、主力工場を抱える茨城県日立市などでは、行政機関の日立市や他の日立グループ各社などと区別するため日立製作所の略称で日製とも呼ばれている」

いずれも2018年12月5日閲覧。

たしかに現代ではそうなのでしょう。しかし歴史をたどると異なる由来がみつかります。

歴史は

久原房之助がつくりあげた新興財閥、それが第1次世界大戦後の不況により久原は経営を放棄し、義弟の鮎川義介の手に委ねます。鮎川は日本産業(略称:日産)グループとして再生させました。そのグループの幹部の交流組織が1934年(昭和9)に生まれます。日産木曜会と言い、37年(昭和12)に日産懇話会と改称します。


『日産懇話会々報』
1942年1月15日号

この日産懇話会の会報(『日産懇話会々報』)に「日製」とでてきます。日立製作所のことです。ちなみに日本鉱業は「日鉱」、日産化学は「日化」、日本水産は「日水」、日産自動車は「日車」と略されています。

余談ですが、戦前の新聞記事をみると、1937年10月までは略称を用いず、翌月から「日製」と表記するようになります。日産懇話会の設立と期を一にしています。

つまり日製は戦前の日産グループ(日産自動車グループではありません)内での略称だったのです。この呼称が日立製作所の発祥の地日立工場を中心に新な意味を加えられながら現代に伝え用いられてきたということでしょうか。