常磐炭礦(株)中郷礦閉山に伴う退職者の動向

目次 ── 解雇数|就職対策状況|主な就職先|本礦員未就職者数


常磐炭礦(株)が経営する中郷礦(鉱山名称は茨城炭礦。所在地は茨城県北茨城市中郷町石岡)は1971年(昭和46)8月30日に閉山となる。

常磐炭礦はこれより先に同市内にある神の山炭礦(所在地は北茨城市関本町)の71年末の閉山を決め、中郷礦に新坑を開発し、集約することにしていた。ところが8月14日に中郷礦の坑内で毎分20トンという異常な出水があり、排水が追いつかず、坑口を閉鎖し、採炭作業ばかりでなく排水作業も中止した。そして8月21日の労使協議会において会社は常磐炭礦労働組合に対し閉山を正式通告した[1]

中郷礦にはこの年の8月18日現在で、本礦員として職員100人・礦員994人、臨時夫181人、季節・短期雇用者69人が在籍し、その他下請組夫325人の合計1344人が働いていた[2]。本項で紹介するのは、上記のうち同労組中郷支部の礦員九百余人の再就職動向についてである。

[註]

  1. [1]『いはらき』新聞 1971年8月20日付 『新聞記事にみる茨城地域の炭礦と社会 昭和編3』所収
  2. [2]「常磐炭礦株式会社概況」 1971年9月

史料について

解雇数

   第1次  第2次  計 
礦員 871 27 898
職員 35 10 45
906 37 943

就職対策状況

閉山発表時の新聞記事によれば、再就職状況は

不況下でもあり再就職の見通しは暗く、従業員と家族九千三百人が路頭に迷うことにもなりかねない、生活は—、住宅はどうなるのだ—、ヤマは突然降ってわいたあまりにも大きな天災にぼう然、暗い表情に包まれている。

と不安を伝えた[3]。8月15日におこったニクソン・ショックによる経済への不安があった。だが10月に入ると状況は変化していた。

離職者の再就職のあっせんは、九月半ばから順調に進み、三日現在六百人(うち縁故就職百人)の就職が決まりすでに百人がヤマを離れている。残りの人たちも十一月半ばごろまでには就職が決まる見通しだという。

と好転を伝える[4]

閉山から一月半ほど経過した10月15日現在の就職対策本部のまとめによると、解雇数943人に対し660社から6,700人の求人があり、そのうち656人の再就職先がきまった。

北茨城市内に約4分の1、ついで千葉県、日立市、神奈川県、東京という順で7割を超える。とりわけ北茨城市内の求人が185人にすぎないにもかかわらず、175人が再就職先としている。住みなれた地域から離れることの難しさを物語っている。

10月15日現在  就職対策本部
 求 人   就 職
企 業
(社)
人 員
(人)
構成比
(%)
 本礦員
 (人)
構成比
(%)
県内 北茨城市内 22 1852.8 17526.7
高萩 5 160.2 395.9
日立 56 3455.1 8212.5
鹿島 19 2383.5 223.4
その他 105 76011.3 517.8
207 1,54423.0 36956.3
関東 東京 141 1,65524.7 538.1
神奈川 80 1,12516.8 7711.7
千葉 53 85112.7 8412.8
埼玉 47 3475.2 152.3
その他 18 1742.6 20.3
339 4,15261.9 23135.2
静岡以南 中京 1 110.2 10.1
阪神 63 6199.2 40.6
その他 32 2363.5 71.1
96 86612.9 121.8
東北以北 福島 15 751.1 39 5.9
北海道 3 701.0 40.6
その他 10.1
18 1452.2 446.7
 合 計 660 6,707100 656100
  1. [3]『いはらき』新聞 1971年8月20日付
  2. [4]『いはらき』新聞 1971年10月4日付 中郷礦の閉山については、これら二つの新聞記事以外にもある。『新聞記事にみる茨城地域の炭礦と社会 昭和編3』の第7章にあわせて8記事が収録されている。

主なる就職先

会 社 人員  会 社 人員
市内 豊田瓦工業所 10  県内 山一商事 7
〃  大洋スチール 11  〃  沢畑工務店 5
〃  茨城窯業 40  東京 王子製鉄 17
〃  茨城サービス 23  〃  啓徳社
〃  谷沢製作所 23  神奈川 京浜工業 30
〃  弘陽社 7   〃  車体工業 9
〃  東京アイライト  6   〃  日産自動車 28
〃  石川建設 6  千葉 浜田重工 30
〃  中川組 5  〃  友和産業 15
十王 櫛形炭礦 20  〃  岡崎工業 16
日立 多賀荷造 9  〃  取手コンクリート 8
〃  多賀荷造運輸 12  埼玉 小岩井農場 5
〃  □土工業所 12  中京 興和工業所 8
〃  武内工務店 10  福島 東永製作所 5
鹿島 岡崎工業 12  〃  根本製材所 9
〃  丸直工業 5  〃  西部炭礦[5] 13
県内 相沢産業 9
  1. [5]西部炭礦とは、常磐炭礦(株)が設立した常磐西部炭礦のことで、1971年5月8日に発足、操業開始。同年10月、常磐炭礦に吸収、西部礦業所と改称。1976年8月31日閉山。

本礦員(男)未就職者数

閉山から一月半、10月15日現在で礦員898人のうち就職が決まっていないのが、23%にあたる209人。上述したように当時の新聞記事は、11月半ばには決まる見通しだと伝える。

直接[6] 間接[7] 坑外[8]  計 
99 47 63 209

出水時の8月18日現在の在籍者内訳は、直接528人、間接215人、坑外111人という構成である。この数値から直接の19%、間接の22%、坑外の57%が未だ就職していないことになる。坑外作業員の就職状況が悪いと一概に言えるのかわからない。内部事情があるかもしれない。

  1. [6]直接:坑内で出炭に直接的にかかわる作業。採炭・掘進・仕繰(支柱含む)・充塡の作業をさす。
  2. [7]間接:坑内で間接的に出炭にかかわる作業。運搬・機械・電気・工作・その他をさす。
  3. [8]坑外:坑外において選炭・運搬・電気・機械・工作・その他の作業をさす。