史料 煙毒現場視察
記者が見た日立鉱山煙害問題

目次──(一)黄煙濛々棚曳く|(二)煙害調査会の活動|(三)機初村の被害状況|(四)各村の有志訪問|(五)一致点発見の困難|(完)鉱山事務所襲撃?


1914年(大正3)7月下旬『いはらき』新聞紙上に6回にわたって連載された「煙毒現場視察」を紹介する。

記者は7月20日に被害地を訪れ、関係者に取材している。それは被害民の一部が夜間ひそかに鉱山事務所を襲うとか、被害民一万数千人萬余が製錬所のある大雄院、採鉱所のある本山を「襲撃すべし」などの噂を耳にしたからであった。足尾銅山の鉱毒水事件は記憶に新しい。記者は現地に入る前から関係者に取材を重ねていたのだろう。現地訪問の二日後には、被害状況、被害民の現在と将来への意向、鉱山と交渉経過をまとめ、記事にした。

[記事について]
 例によって縦書きを横書きにし、漢字は常用漢字があるものは常用漢字に改め、仮名遣いなど表記はそのままとした。ふりがなは一部を残して外した。一部に句点[。]がわりに読点[、]が付されるが、引用者において句読点を付し直した。[ ]内は制作者による註記である。

煙毒現場視察(一) 黄煙濛々棚曳く

 日立鉱山の煙毒は久慈郡及那珂郡の一部を害し、煙草、紫雲英其他の耕作物の被害著しく、殊に煙草の如きは煙毒の為に量目を減じ品質を損じ、等級の下落は延いて賠償金に影響するのみならず、水府煙草の名声を汚損する事甚だしきを以て、被害区民は日立鉱山に対し之が
▲相当賠償を請求 すると同時に除害方法を講ぜられたしとの交渉、回を重ぬるも埓明かざるより、区民の一部は或は夜間窃にひそか鉱山事務所を襲ひ、或いは近々区民一萬余千人大挙して大雄院、本山を襲撃すべし抔との噂あるより、其被害の状況、区民の現在及将来の意嚮、従来為し来れる鉱山と区民の交渉顛末等に就て視察すべく廿日久慈郡に向ふ。
▲太田より遠望 太田停車場にて折柄居合せたる稲田信左衛門、小林彦右衛門、中郡猛夫氏等と会し釜萬楼に到る。楼上遥か東北に当り黄煙濛々として天に冲し、風なきに煙は霞の如く真弓の連山に棚曳き、或は高貫官林の渓谷を伝へ中里、佐都、機初、誉田の各村方面を襲ひつゝあるを見て
▲稲田氏は語る 如何です、あれだけだから堪らんでせう。あれでも今時分の季節には少く、稲の開花季が最も猛烈に遺つて来ます。煙毒の植物に及ぼす害は煙草を以て第一とし、蚕豆、紫雲英等は相次でひどい。稲にも害を及ぼす事は云ふ迄もないが、如何せん素人の悲しさ肉眼を以て証拠立つる事が出来んで居ります。煙毒が煙草を初め諸耕作物に害を及ぼすといふ事を吾々にも認めらるゝやうになつたのは四十二年からで、被害区域と称するのは佐都、機初、誉田、河内、中里、世矢、坂本、山田、染和田、久米、金郷、金砂、佐竹、西小沢、東小沢、天下野、賀美、小里、幸久、太田の一町十九村です、就中甚いのは佐都、中里、河内、誉田、機初の五ヶ村、此の五ヶ村は煙毒の所謂通過路とも称すべき高貫官林の麓に位置してゐるからです。
▲高貫官林の伐採 高貫官林は吾々に取つて唯一の防煙林とたのんで居た。処が一昨年其筋に於て伐採し始めたので、機初、西小沢両村は水源保存煙毒防止の為め中止を申請して中止せしめた時は既に十分の二以上を伐採したのでした。元来亞硫酸瓦斯を含んでゐる煙は空気よりも比重が非常に重いので、東北の風に送られた煙は何時も高貫官林の沢を伝はつて南下し、自然と煙は地上に垂れます[1]
▲開花期は恐慌 それが又何植物であつても開花期だと花は直ぐ煙毒を受け、夕刻若くは降雨に際会すると気体は忽ちに液体と変じ、非常に害を為すのである。太田町より彼の連山を見ると緑滴るやうだが、山で見ると茶褐色を呈して精力がチツトもない。四十二年以来僅か六ヶ年間にこの現象を肉眼を以て優に認め得るに至つたのであるから、如何に煙害が猛烈であるかが知れやう。況んや表皮柔弱なる煙草其他の植物の被害に就ては今更云ふ迄もあるまい。(長久保特派員)

1914年7月22日付『いはらき』新聞

  1. [註]
  2. [1]ここまでが稲田信左衛門が語ったものである。きわめて具体的で臨場感がある。稲田は煙害に気づいたのが1909年(明治42)のことだと言う。日立鉱山の中央製錬所が動きはじめたのがその前年の08年11月。また葉煙草の被害がもっともひどいと言う。稲田は久慈郡機初村大字幡の人。民政党の「珂北方面に於ける重鎮」で、村長、県会・郡会議員を歴任、久慈銀行常務取締役、大甕合同運輸会社長、常北電気鉄道取締役の職にあった(『茨城人名辞書』1930年刊)。

煙毒現場視察(二) 煙害調査会の活動

日立鉱山は日に月に拡張し年々莫大の利得を収めつゝあるに反し、久慈郡及び那珂郡の一部被害民は日に月に耕地は荒廃され年々耕作物を汚損さるゝも、質朴なる農民は一に鉱山側の調査と辯明とを信じ、彼の日立鉱山創設以来敢て反抗がましき行為に出たる事はなかつたが、明治四十二年以後に至り煙草、紫雲英、赤松、栗、蕎麦、大小麦に及ぼせる被害の徴候著しく、如何に無智無能の農民と雖も肉眼を以て之を認識するに至れる以上黙認する事が出来ぬ。煙毒調査委員
▲中郡氏は語る うした現象が肉眼を以て認め得る迄の程度にならぬ以前、既に彼等は煙草の著しく耕作物を犯しつゝある事を悉知し居たるにも拘はらず吾々耕作民を瞞着して居たのだ。然るに吾々の交渉に対して漸く其被害を認め相当の賠償を為やうと言明したが、夫れは被害民の要求に満足な補償ではなかつた。一方水戸専賣支局は監督吏員を派し煙草耕作を厳しく督励する。督励の厳しいのは耕作者に取つて敢て意に介する所でない。やがて良葉を産出し水府煙草の名声を挙げ、且つ賠償金のより多からん事を欲するからである。然るに成育頗る良好の煙草も開花期に際して猛烈な煙害を受くる時は、一期にして切角の苦心も水泡に帰し、延いて専賣局の賠償等級に影響し予期の収得を見る事が出来ぬ。この損害を正当理由として日立鉱山に訴ふるも彼等は言を左右に托して応じない。恁うなると農民は弱い者である。弱い農民は左右しそうこうてる内に祖先伝来の業を失ふの悲境に陥らねばならぬ。この憂目を吾れから防衛する為めに
▲煙毒調査会 なるものを組織した。調査会の目的は鉱山側の瞞着主義を破壊し、一方県庁には煙草及煙毒に関する専門の技師なく、従つて信頼するに足らないから、自衛策として多年の経験と斯道に専門学識を有する技師を聘し、極力調査に努むべく二町十二ヶ村聯合調査会と水府煙草生産同業組合とは茲に聯合した訳だ。調査会の活動に就ては県庁に於ても近時少からず注意を払うてるやうだが、調査会は恁うした目的を遂行する為めには各方面に向つて極力調査方針を進め、機初村から武石哲蔵、西小沢村から中村哲蔵、久米村から茅根豊吉、佐都村から柴田亀之介、誉田村から小林敏の五氏を選抜し、煙害の程度賠償歩合其他を視察せしむる為、十五日東京西ヶ原に派遣し十九日帰着した。
▲実験の相違 派遣員の実験若くは視察の結果恐るべき被害は云ふ迄もない。日立鉱山は被害農民に対し被害は断じてないと辯明し居る作物であつても西ヶ原煙害専門の米丸技師は被害の徴候顕著だと証言してるやうな次第で、利害関係を有する鉱山技師と無関係の西ヶ原技師との学術上の意見に斯の如く相違あるを見ても、銅山側に於て如何に虚偽の辯明に是れ努めつゝあるかが知れるであらう。鉱山の技師は肉眼を以て見る事の出来ない被害作物に対しては何時も言を左右に托して瞞着これ努めるのである。鉱山と関係町村とが是迄に交渉を重ねた事前後三回、来る二十五日に第四回目の交渉を為す筈である。此は大小麦、紫雲英の損害程度問題で鉱山側の調査書類を聯合調査委員に提示する筈だが、其内容を聞くと被害の最も著しいと認められてる佐都に於て紫雲英一反歩の賠償金一円三十五銭、中里は一円五銭、機初は七十五銭の割合だとある。この割合で見ると損害は一反歩の収穫に対して四分の見込で計算したらしい。被害民は迚も承諾せんであらうと思ふ。(長久保特派員)

1914年7月23日付『いはらき』新聞

煙毒現場視察(三) 機初村の被害状況

 稲田信左衛門、中郡猛夫氏等の談話を聞いた記者は、午前十時釜萬楼を出でて太田町金井下の田圃を縫ふて、更に機初村役場に村長稲田繁氏を訪ふ、氏は水府煙草生産同業組合の煙毒調査員の一人で、熱心な研究者である。
▲稲田村長は語る 私の村で今年煙草を作りましたのは五ヶ大字、此反別四十町歩で大字長谷、高貫が最も被害の程度が著しい。就中高貫の子持柵、岡ノ内、野木輪、上坪、中坪、前田抔は実に甚い、被害の程度は或は昨年より以上ではあるまいかと思はれる。昨年は一反歩に就て一割二分五厘の損害の割合で鉱山より交付された金は十一円三十六銭に相当した。これを本年の耕作反別四十町に対し仮に被害が昨年と同程度のものであるとするも、四千四百四十四円を交付さるべき勘定だが、本年は如何しても二割方の被害は免れまいと想像する。従つて四千四百円の損害だが、瞞着主義の鉱山は到底吾々の要求を入れぬであらう。吾々は決して不当の要求を欲するものではない。鉱山に向つて哀訴嘆願するものでもない。国家的大事業とは云ひながら営利的事業に座して莫大の利徳を占つゝある鉱山の為めに貧弱なる吾々農民に対し、正当の権利を主張するのである。被害は煙草のみではない。
▲紫雲英の被害 は既に過ぎ去つたことであるが、鉱山はこれに対して如何なる補償を主張してるかを聞くに、紫雲英一反歩に一円卅五銭乃至七十五銭、即ち我機初村の如きは高貫官林の麓に沿ふて被害最も甚だしきにも拘らず僅か七十五銭とは余りに馬鹿馬鹿しいではないか。例へば一反歩に要する種は三升、一升の代金は六十銭と見積るも、三升の代償は一円八十銭を要す。一反歩よりの収穫一千貫、緑肥草刈籠に一ツと大豆一升の價が相当するものとせば大豆一升七八銭と見積るも、一千貫の緑肥は優に十八円七十五銭の價値ではないか。これ丈けの價値ある紫雲英が一度濛々たる黄煙に際会する時は、見る見る青菜に塩の観なき能はず。殊に花期に於て最も甚しい。然るに本年は屡々この災害に遭遇したのだから、被害の程度も従つて甚かつた。鉱山は既に百も承知、二百も合点でありながら三分にも付かぬ補償を以て満足せしめやうとは、そりや聞えません話だ。
▲麦作は四割滅 煙害に犯され易いのは赤松、栗、蕎麦、紫雲英、煙草、稲、麦、蚕豆、 南瓜、瓜抔だ。就中禾本科植物即ち大麦、小麦、稲抔は比較的性の強いものだと云はれてるに拘らず、黄煙襲ひ来れば見る見る葉は萎でしぼん垂下し白色に変ずる。こは要するに黄煙中の亞硫酸瓦斯湿気に触れて硫酸に変化する結果だ。開花期に此災害に逢着したものは収穫に於て二割を減じ、量目に於て又一割を減じ、更に搗麦に際して一割を減ずる為に、食膳に供せらるゝ迄には如何しても四割以上を減少するのである。
▲基本財産へ寄附 斯の如くにして各種の耕作物を汚損し耕地を荒廃し、樹木を枯死せしむるの程度、愈著しくなり来れるを予知したる鉱山は、被害民の苦情を幾分か和げんと欲し、大正元年、二年、三年の三ヶ年間継續として一ヶ年金五千円を町村基本財産の内へ寄附と称し、久慈、東小沢、西小沢、坂本、世矢、機初、佐竹、佐都、誉田の一町八ヶ村へ提供したが、機初村は六百三十九円五十三銭四厘、即ち三ヶ年間に一千九百十八円六十銭二厘の配当を受けた。斯の如くして鉱山側でも種々好意を表するものであるから、吾々も亦決して過分の補償を要求するものでない。正当の補償と可然除害法とを講ぜらるゝに於ては、何等苦情を鳴らすものではない。(長久保特派員)

1914年7月24日付『いはらき』新聞

煙毒現場視察(四) 各村の有志訪問

稲田村長から村内に於ける被害の大体を聞き終ると、村農会主任者は煙草及び樹木、耕作物等に就て被害の現場に案内しませうと云ひ出した。此は素より記者の希望する処であつたから相携へて村役場を出た。
▲黄経に中毒 青田をそよそよと吹いて来る風は生温い。里川のほとりばかりは涼しいけれども、急ぎ足の田圃道は焼くが如くして暑い。濛々たる黄煙は遠慮なく高貫官林の凹を伝へて南へ南へと遣つて来る。高貫の内でも最も被害程度の甚いと云はれてる子持柵、岡の内に着いた。亜硫酸瓦斯を含んでる黄煙はプーンと鼻を衝いて、胸がむかむかする。咳一咳容易に止まりそうもなかった。人間にして斯くの如くであるから、表皮柔弱な草木の害を蒙るのは無理のない事だと思つた。『始めてこの地に入らつしゃる方は皆さんが恁うです。れども私共は習慣になつてますのと煙に中毒してますから、チツトも鼻に感じません。耕作物は年々歳々新たに発芽するのですから、丁度皆さんと同様に煙毒に逢ひますと直ぐ参つて了ひます』と云つて記者の嚔をくさめ頻りに笑ふ。
▲煙草畑を観る 子持柵、岡ノ内辺の煙草作は非常に良い。六七尺もあらうと思はれる煙草の花は将に開かんとして居る。正午近い時分の暑気に朝の気分は見せてゐなかつたが、それでも生育は頗る旺盛なものであった。案内の人は『これ御覧なさい。恁う点々してますのは煙毒の徴候です。恁うした立派な葉でもこの点々としてる斑点が軈て腐蝕の結果穴が生じますと等級は驚く程下落します』と葉煙草の裏と表を見せる。煙草は土葉、中葉、本葉に目下の所害を受けてる。天葉と雑葉とには未だ害を及ぼしてゐない。煙草は害を一番受け易いと云はれてる丈けに、記者の眼にも明瞭に認められる。見渡す限り煙草畑であるのに、恁うした被害とは実に気の毒なものだと思つた。農家自らがこの被害を如何しても防止する方法がないのだといふ。
▲煙害地を廻る 稲作も今分の処では昨年より以上に生育旺盛であるから、この分なら豊作は疑なかるべしとの事であつた。丈けは一尺四五寸に伸び、煙害に犯されてる形跡は些少も認められない。最も出穂から懸けて開花期に害毒を受けるもので、今分の生育期には大した被害はないらしいとは、案内者許りでなく煙毒調査委員もそう云つてゐる。其他山々の樹木を見ると緑滴るやうな木蔭は見られない。殊に赤松、栗抔が緑色を失ふて薄黄色を呈し、葉の縁は萎れて如何にも生々した気分がなかつた。記者は恁うした山々の間を縫ひ田圃道を通つて佐都、河内、中里、誉田と里川のほとりを経廻つて煙毒調査委員、其他有志の方々を訪問したが、云ふ処、語る処、要求する処、主張する処は皆大同小異で、乱暴な要求でも亦無理な主張でもなかつた。正当な権利を絶叫する地方々々であつても、被害の程度は同じではなかつた。記者は更に水府煙草生産同業組合事務所に和田将作氏を訪問すると、丁度同事務所には同組合と二町十二ヶ村の煙毒聯合調査会が開会中であつた。(長久保特派員)

1914年7月25日付『いはらき』新聞

煙害現場視察(五) 一致点発見の困難

 年々激烈なる徴候を煙草及耕作物の上に示すやうになつた結果、是等の被害を未然に防ぎ且つ救済の目的を以て生れたのは二町十二ヶ村煙毒聯合調査会と水府煙草生産同業組合とである。
▲和田将作氏語る 羽田郡長を会長とする当生産同業組合は、煙毒耕作に関する資金及肥料の斡旋と耕作者保護の目的を以て組織されたもので、組合の区域は太田、機初、世矢、佐竹、久米、金郷、金砂、染和田、山田、誉田、佐都、河内、中里、賀美、幸久、西小沢、坂本、天下野、高倉、小里、諸富野、郡戸、神崎、石神、額田の一町二十四ヶ村、代議員四十四人、地区理事二十四人、評議員十四人、名誉顧問四人、役員正副会長、理事三人、教師兼書記三人、書記二人、煙害調査委員六人から成立して居る。
▲一反歩当の実例 煙毒調査委員の調査に拠ると四十二年に始めて煙害の補償を要求してから昨年迄の一反歩当収納量目及一貫目当賠償金、被害歩合は左の如くである。
 年 次   一反当量目    一貫当賠償   被害歩合
 四十二年  二九、〇〇〇匁  一、八七六厘  一、〇歩
 四十三年  三一、四〇〇〃  一、四六八〃  一、〇〃
 四十四年  二〇、三〇〇〃  一、四三〇〃  一、〇〃
 元  年  二二、九〇〇〃  一、九〇二〃  一、〇〃
 二  年  二九、〇〇〇〃  二、四四〇〃  一、五〃

就中四十四年度は甚い凶作であつた。二年度は四十三年度の大豊作と敢て遜色なき作柄であつたにも拘らず、量目に於て四十三年度は一反歩三十一貫四百目あつたに、二年度は二十九貫匁差引二貫四目の減数であつたのは、要するに二年度の煙害が四十三年度より以 上に激烈であつたからに外ならない。
▲九萬円の損害 豊作であつても二年度は煙害の為めに量目が減じ品質は粗悪であつた。然れども一貫目当の賠償額は二円四十四銭で四十三年度の夫れに比し九十七銭二厘の増額であつたのは、畢境つまり元年度及二年度に於て各等級の賠償額が値上げされた結果であつた。斯の如く一貫匁当から見ると増額のやうではあるが、これを総耕作反別の上から打算すると組合区域のみで損害の総額は九万円以上であるから、我々は耕作者個人の眼前の収得高のみを見て総別の損失を見ないと云ふ訳には行かぬ。
▲耕作者の希望 そこで種々調査の結果鉱山に対して相互に勝手な調査を廃し、実際の損害額に就て妥協的正当の補償をすると同時に日立鉱山の鉱区より採掘する原料丈の製錬に止め、他より鉱石を輸入し製錬する事を廃めて貰ひたい。斯くすれば被害の程度が幾分減少さるゝは云ふ迄もない。然るに他より煙毒の原料を輸入して吾々のみがその害を蒙らねばならぬと云ふ事が如何にも馬鹿々々しいではないか。夫も出来ぬとの事であるならば然るべき除害方法を講じて貰ひたいといふのが吾々の希望なのである。
▲妥協点発見困難 恁うした要求を再三再四鉱山に提出するので、鉱山側でも捨てゝ置けず、日々十五六人の調査員を各町村に派遣し、誠意ある調査を命じて置くに拘はらず、該鉱山員等窃に被害町村を経廻り聯合の不得策を説き、且つ窃に鉱山に来る者に対しては相当の補償金を交付すべければ、声を小にして来れと、恰も蝦を以て鯛を釣るの手段を以て誘惑之れ努めつゝあるのである。夫れが為めに動もすると聯合に障害を来し、協同一致の歩調を乱す事がある。此は要するに鉱山側の陋劣手段の結果に外ならないので ある。鉱山の外交方針及び総てが恁うであるから妥協の一致点を発見するに困難する訳なのである。(長久保特派員)

1914年7月26日付『いはらき』新聞

煙毒現場視察(完) 鉱山事務所襲撃?

煙毒地被害の状況、被害民の要求、鉱山側との交渉顚末等に就ては大体に於て前記の如くであつた。然れども鉱山側の答辯と被害民側の主張とは容易にその一致点を見出す事が出来ず、今以て紛擾に紛擾を重ねつゝあるが、何時解決すべしとも思はれぬ。
▲被害民側の要求 被害民側を代表する煙毒調査委員長羽田久遠、同委員稲田繁、同平山午之助、同中郡猛夫、同後藤専之介、同鯉淵正、教師関根英之助の七氏より日立鉱山に対して要求した交渉事項は恁うであつた。 ▲鉱山側の答辯 被害民側の要求に対し鉱山は今回左の如き答辯をした。  
(一)一部分の非耕作地となりたる場合に於ける方法は更に研究の上確答すべし。全耕作地の非耕作地となるが如き憂なかるべしと思はるゝも、是に就ては即答し難し  
(二)従来の施設の外、其筋の注意もあり、且つ種々考究の結果除害工事を設備中なれば完成と同時に被害尠少となることと思ふ。而して其時期は来春四月頃竣功の見込みなり[2]
(三)従来の調査員九名の外、本年は更に三名を増加し、尚補助員数名をも加へたれば急速に之を行はるべく、且つ公平なる被害歩合を調査しつゝあり
(四)被害区域内の一部分に於て確然煙害の證跡を認めざるも、生育を妨げたるものと認め得べき場合は、特に意を用ひて補償をなすべし
(五)出来得る限り急速の調査をなすを怠らざるも、尚急遽の場合は更に既往の例を参酌し、最善の方法を協議することとすべし  
六)染和田村、金郷村に当事務所より通信員を置き、該通信員より太田出張員に報告し、出張員より電話にて通報する等便宜の方法を採り不都合なからしむべし
(七)全然貴示の如くすること能はざるも、教師の調査は望む処なれば特に参考として協定の資料に供することあるべし
▲関根教師は語る 鉱山側の回答は恁うしたもので、何時も要領を得たやうな得ぬやうな所謂瞞着主義の外交方針であるから、面と面を突き合せての交渉に際して如何やうに罵倒されても彼等はゲタゲタ笑つて居る。『解決の委任を受けて来ながら解決が出来んと云ふならば此の場で殺して了ふぞ』と云はれると『殺すなら殺して下さい。生命保険に入つ てますから敢て遺族は困りますまいハハヽヽヽ』と恁うだ。何んともその図々しさ加減には手が付けられません。
▲県庁側の冷淡 鉱山側では恁ういふ方針であるのに県庁でも、何れかと云へば鉱山贔屓だから弱い吾々耕作者は祖先の伝来の耕地を荒廃さるゝ許りでなく、正当の被害に対する要求も対岸の火災視されてるのです。県当局者はこんな事を云つた。『一体被害区域全部の煙草代は何程だ。百萬円? 鉱山の一ヶ年の純益は三百乃至四百万円だ。この純益から百万円の煙草を差引いても二百万円以上を国家が利益するではないか……』 陰に鉱山の利益を謳歌さるゝやうな口吻ですが、原料一百万円の煙草が製品になると七百萬円の利益を専賣局が見る訳ですから、国家経済の上から云ふても鉱山より以上に吾々を保護してもよいだらうと考へてます。
▲鉱山を襲撃 吾々は諸有あらゆる手段と最善の方法を講じ、正当の権利を主張しても、鉱山が飽迄瞞着主義を発揮し、耕作者を愚弄するに於いては、最後の手段として夜闇に乗じ入四間の間道を辿り、窃に大雄院本山事務所を包囲し、飽迄も吾々の正当なる主張を貫徹すべく作戦計画及戦闘準備は出来てゐます。何時にてもオーソレと云へば立所に一万五千の耕作人は鉱山事務所に押掛る事が出来るのだといふ。(長久保特派員)

1914年7月27日付『いはらき』新聞

  1. [2]「従来の施設の外、其筋の注意もあり、且つ種々考究の結果除害工事を設備中」と言っているのは、大煙突建設のことを指している。この年、14年(大正3)3月13日に日立鉱山は大煙突工事に着手していた。完成するのは翌15年3月1日のこと。

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