史料 多賀郡助川近況
 1907年(明治40)8月1日付『いはらき』新聞記事

避暑地として知られていた多賀郡高鈴村大字助川の概況を伝える新聞記事である。3旅館の評判、助川セメント工場の創業、日立鉱山で活況を呈する助川駅、高鈴村役場の内紛、警察官・教師の評価、セメント工場建設の労働者で賑わう助川宿、養蚕で収入を得る農業、会瀬の鮑・鰹漁等について取りあげている。日立製作所の進出によって工業の町と化していく以前の村の様子をうかがうことができる。

[本文]

避暑地としての助川近況を聞くに、海水浴旅館は東暁館、眺洋館、皆川屋等何れも昨今賑ひ来れるが、右旅館中眺洋館は本年の新築に係り諸器具総て新調なる上家人皆親切なり。而して東暁館は同地第一の旅館にして近頃東京より数人の美人を雇ひ来りて来客に特別の待遇をなす由。次に皆川屋従來確実なる故季節に関せす滞在客其影を絶たず。

▲助川セメント工場は七月三十日を以て第一期の工事落成期なりしも、恰も梅雨期に際したる為め工事の進行渋滞したる故、来る廿日迄延期願を県庁に差出したる由。尤も汽罐汽機の据付等は既に了し、去る廿三日秋山県技手の検査も無事終了し、廿八日より試運転をなしたるに頗る好成績なる由にて、来月中旬頃には試験的の製造に着手する由。

▲助川駅は海岸線開通の際にては差したる貨物の発着等もなく只附近の海浜より来る鮮魚の発送位なりしが、近来日立鉱山漸く盛大なるに至りしより、凡て貨物の発着を同駅にて取扱ふことゝなり、現今構内は非常に混雑を極めつゝある折から、今又たセメント工場の開設せるあり。構内ホームの狭隘益々甚だしきを感ずるに到れり。

▲高鈴村役場は近来村治不整備なりしが、先に収入役の改選以来漸次改革の緒に就きしに、今回又々現収入役辞表を提出したり。

▲助川部長派出所在勤小山松次郎氏はことの外職務に忠実、且つ一般人民に接して親切なるを以て頗る好評なり。駐在所在勤深井鉄造氏も亦同様なり。

▲高鈴村立尋常高等小学校は大和田校長以下職員一同父兄の気受け克く、至極平穏無事にして、昨卅一日より暑中休暇となり。

▲助川宿の景況は、セメント工場工事に労働する人夫等が意外の労銀を得る為め、各商店は予想外に繁晶し、且つ此程来新演劇三日間の興業あり、可なりの盛況を呈したり。

▲農況は本年麦作及春蚕の豊□にして平年に比し頗る増収ありたるに付、農民一般は今や舌鼓みを打ちつゝありしに、昨今又々天候順に向ひ諸作物も大に見直し、且つ秋蚕は□三日中に掃立ての見込み。

▲鮑漁は相変はらず多少の漁あり。其他鰹及鯛・鮃等は昨今可なりの漁にて一般漁民は喜び居れり。

[凡例]

縦書きを横書きに改め、漢字は常用漢字があるものは常用漢字に置き換え、ないものはそのままとした。□は判読不明。仮名遣いはそのままとし、ルビは削除した。適宜句読点を付した。[ ]は編者註。