御記憶の方ありませんか 日立市に原爆投下の訓練があったことを

奥住喜重

アメリカ戦略爆撃調査団の報告書といえば、その八二番が『日立戦災史』の中にも訳されています。

同じ調査団の九一番の報告書は、一万ポンド(五トン)爆弾の効果に関するものでしたが、愛知県春日井市の有志の方たちがそれを読んで、一つの判断を下しました。報告書には投弾機の所属が明記されていなかったのを、それは原爆投下部隊、第五〇九混成群団がしたことだと言ったのです。

爆弾というものは大きくさえあればよいというものではありません。大型爆弾ほど、一機が運びえる個数が少いので、命中の確率も小さく、命中しなければ標的を破壊することができません。効率が悪いのです。ですからB二九が対日戦略爆撃に常用した破壊用爆弾は、大きいものでも二〇〇〇ポンド(一トン)か、せいぜい四〇〇〇ポンド(二トン)までです。日立の海岸工場に集中投下されたのも一トン爆弾でした。

一機のB二九に、一万ポンド爆弾は一発しか積めません。そんなものをなぜ落したか。しかも投下の時期は、一九四五年の七月下旬と、日本降服の前日、八月一四日に限られていました。この間には八月六日の広島と、九日の長崎とが挟まっています。そこで、第五〇九混成群団がしたのではないかと思い至ったときに、春日井の人たちは全ての疑問が晴れる思いがしたのです。

春日井の場合、落されたのは八月一四日で、戦争もいよいよおしまい、不用になる訓練用爆弾を叩きつけてやろうというのか、合計四発も投下しています。

しかし日立の場合は、七月二六日に一機一発、目前に迫った核攻撃のための、訓練投下でした。日立市民の皆さん、山手工場に落されたという巨大爆弾について、御記憶の方はありませんか。当日の天候、B二九の高度、投弾の時刻なども極めて重要なのですが。

(一九九一年九月寄稿、『市民と博物館』第三〇号 一九九二・二・一四)

その後、一万ポンド爆弾は、八月八日にも五発落されていることが判りました。(奥住追記)