民膏民脂

萬田 五郎

思いもよらないお招きをうけ、お断りするのも非礼かと、うかつに承諾してしまったのでしたが、西部の町の野人市長には、さすがに県のみなさんの“ひろば”の招待席はあたかもロイヤル・ボックスのごとくいかめしくて、竹内さんのいんぎんなご案内状の「県にも一言、きたんのないご意見、ご批判」など書けるわけがありません。〆切日が迫った今になって取消しもできず、甚だ無責任ながら何が出るか自分でもわからぬまま、ペンの走るにまかせることにしました。妄言あらかじめご容赦ねがいます。

さっそく叱られそうなことですが、今朝新聞を見ていたら、ある人の人物評で「根っからの官僚ぎらい」という文字が目につきました。僕もモーニング・コートと聞いただけで“じんましん”がでる体質ですから役人には不向きらしく、政治が好きでないことは明言できる。正確には政治家に落第したというべきですが、しみじみと性分にあわないことを体験で知って、爾来実業に専念することに決めたのでありました。それがへんなことから、こともあろうにモーニング・コートに殊さら縁が深そうな職業につくことになったのですから、運命の皮肉とでもいうべきでありましよう。ただし、前記理由でその着用はたいていごかんべんねがっています。

そんな僕ですから、市の職員も当初、僕のすることなすことに面喰らったのも無理ありません。昨日まで給料も満足に払えない会社で、ひたすら飢えないために悪戦苦闘していた僕にとって、役所の洗面所で水がざあざあ流れていることから、一枚の住民票かなにかのためにたくさんの市民が待っている窓口風景、議会では答弁に窮するような名質問をされる議員さんにしてからが、執行率百パーセントを百点満点と錯覚しているらしい決算審査のしかた、その他気になることばかりでありました。公務員なら誰でも知っている二本松城址の碑文を、僕は市長になって初めて知って感動しましたが、「民膏民脂」はわれらが俸禄だけではない。役所で使う金がすべてこれ民の膏脂であり、びた一文無駄遣いが許されないばかりか、いかにしてこれを効率的に使うかの工夫に、あらゆる知恵を絞らねばならぬはずである。窓口での市民の待時間の一年分を金に換算しての訓話などしたのですから、われながらあきれた話です。

ペンの走るにまかせてここまで来ましたが効率的ということでやっと県への一言らしいものに思いつきました。例をあげた方が早い。老人施設について、県内に該当者が三百人いるが施設は十ケ所で収容力は四百人あるから新設の要は今のところない、という判断が、われわれでもそうだが、県においてはよけいそうなりがちではないでしょうか。いうまでもなくここで求められる効率は、行政のそれであって企業の効率ではない。台帳、調査表の上で仕事をするところほどこのまちがいを犯しやすい。我田引水の感がありますが、ある種の福祉行政においては、ボランティア活動の支えなくしては、うまくやれぬというのが僕の経験的認識である。県の施設では住民からのそうした支えを期待することは難かしい。この辺に県と市町村の福祉行政の分担を考えるときの問題があると僕は考えます。当市では、強力なポランティア活動に支えられて、昔の殿さまの城跡に市民のたましいの砦として、「太陽の家」を築き守っているという手前味噌でペンを擱きます。

茨城県総務部職員課『ひろば』 第4号 1973.4.20