史料 日立鉱山と郵便事業

明治43年(1910)4月10日付『いはらき』新聞

日立鉱山と郵便事業
     大窪日立鑛山郵便局長談

日立鑛山は漸次に発展し郵便局も二ヶ所ある。即ち本山ほんざんに一局、此大雄院だいゆういんに一局ある。何分多数の人の入り込む故、為替の振出の如き當局のみで月八千圓位はある。四十一年度には七萬七千六圓に達した。鑛山にて義務貯金其他の貯金を勸誘して貯蓄居る以外、我々が飯場や學校などに奨励した爲め、昨年の如きは九萬五千百十九圓に達した。鑛山役員及労働者の多数は随分多額の貯金を鑛山に積であるが、學校貯金でも三百八十圓ある。郵便は書留引受三四四八件、小包八一六件、電信發四六六八件、着六六一三件で、事務員二名では中々多忙である。自分は生命保険の代理店をして居るが、本業多忙の爲勸誘も出來ぬが、自分の手を経て帝國生命のみに拂込んだ金でも約四萬圓で、前途益々有望である

*原文には句読点はないが、引用者が付した。