史料 日立鉱山と郵便事業
日立鉱山と郵便事業
大窪日立鑛山郵便局長談日立鑛山は漸次に発展し郵便局も二ヶ所ある。即ち本山に一局、此大雄院に一局ある。何分多数の人の入り込む故、為替の振出の如き當局のみで月八千圓位はある。四十一年度には七萬七千六圓に達した。鑛山にて義務貯金其他の貯金を勸誘して貯蓄居る以外、我々が飯場や學校などに奨励した爲め、昨年の如きは九萬五千百十九圓に達した。鑛山役員及労働者の多数は随分多額の貯金を鑛山に積であるが、學校貯金でも三百八十圓ある。郵便は書留引受三四四八件、小包八一六件、電信發四六六八件、着六六一三件で、事務員二名では中々多忙である。自分は生命保険の代理店をして居るが、本業多忙の爲勸誘も出來ぬが、自分の手を経て帝國生命のみに拂込んだ金でも約四萬圓で、前途益々有望である
*原文には句読点はないが、引用者が付した。