史料 工部省イタリア人彫刻師による諏訪村と真弓村の寒水石調査 1

次に紹介するものは1883年(明治19)に刊行された巨智部忠承『概測 常北地質編』(『理科会粋』第4帙附録 東京大学発行)からぬきだしたものである(原文の片仮名は平仮名にし、適宜読点を入れた。〈 〉は引用者の注記)。

伊太利國の美術師ガリアルチ氏の言にも茨城縣の大理石は我伊太利有名の大理石と同種にして實に稀世の珍品たり、今試に其黝色及緑斑色なる一二片を携て伊國の人に示すに、日本の産たるを以てせは其人必す信せすして、此は是れ我伊國某地に特産する銘石にして復た他に比類なきものなりといはんとす〈中略〉氏は工部省の命を奉し数々縣下を巡回して其石質を點検し、殊に親く彫刻に試み悉く其産地を暗記し應答少しも停滞なし〈中略〉其産地の廣袤性質の善良なるものを追叙せは諏訪第一に居り、助川之に亞き、眞弓、滑川、大塚、横川、神岡、又之に亞く〈以下略〉

左の一節は前に言う伊國人ガリアルヂ氏の口述する所にして寒水石の品評に係れり

  真弓山白寒水石

真弓山下弁天澤の石坑は開坑法の序次を得さるものなれとも石室は中等の彫像石にして二噸乃至三噸の石材を出すべし、勿論小塊は上等品と雖も猶得難からす、石肌は大抵伊國産の彫像石に譲らす、特に米國ウェルモント州所産のものに勝りて、石坑の所在は海陬を隔ること遠からすして運送に便なれは其業の隆盛期すへきなり、山上亦石坑あり、但地位甚た悪く概ね大気の侵食をうけて、且石質粗粒状なれは開採するも其利益少かるへし、故に速やかに委棄して別に山下数ヶ所に産する良質の石區を開坑せは其益却て多しとせん

  助川村黝色寒水石

北大峰山一名軽澤山〈数澤山ヵ〉の石は黝色堅牢なる裂紋少き良材にして坑法亦宜に適ひ幅五尺長二丈前後の巨材を得る常に難からす南大峰山上のものも略仝種にして亦良材を産す

  諏訪村白寒水石

字普賢に顯露せる白寒水石は上等の彫刻石にして近傍數所にも仝物を見る

ガリアルヂ(トマソ・ガリアルディ Tommaso Gagliardi)は、工部美術学校(1876年[明治9]に設立)の彫刻学教師で、茨城県北部において1879年12月3日から大理石の代用としての寒水石の調査をおこなった。その調査をふまえて1886年(明治19)には工部大学校造家学科1期生の曾禰達蔵が諏訪村屏風ヶ嶽と真弓山を調査している(清水重敦「建築写真と明治の教育」『学問のアルケオロジー』 東京大学創立百二十周年記念東京大学展 学問の過去・現在・未来[第1部])。

本史料の『概測 常北地質編』については、國府田克彦さんからご教示いただきました。お礼申し上げます。

なお、江戸時代の寒水石に関する史料については、「石灰石と寒水石」を参照。